ていねいさ


「生活へのていねいさが感じられないんですよね」

会議の席でそう言われたときには気にならなかった。そんなものなのか,と。それが数か月前のことだ。

その後,「ていねいさ」という言葉があちこち,特殊な用いられ方で登場していることに気づき,驚いた。なんだ? ていねいさって??

「がさつ」ではなく「ていねいさが足りない」というように,それは用いられることが多い。まるで「病気」ではなく「健康への配慮が足りない」とでもいうような,何か心性がそこに働いているのだろうか。違和感を覚えたのは,「ていねいさ」とは除外診のようのものだと,私がとらえていたからなのかもしれない。除外診が大手を振って歩き始めることの危険性は,ナチスの優生保護法や健康志向がイヤというくらいに知らしめたにもかかわらず。

優生保護法をそれ自体で価値判断するのではなく,ナチズムとの整合性をもって見なければならない。もちろん,ナチズム下における優生保護法はまったく理に適っている。つまり優生保護法それ自体が非ではなく,優生思想を生むナチズムが非なのだということだ。

それと「ていねいさ」を同列に考えることはないだろうけれど,なんだか,きな臭いんだよな。

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