Ceremony

夕方から通夜で,翌日は告別式。

昼過ぎに家を出て,練馬で昼食をとる。一度,義父の家に行き,段取りの確認。妹さん一家がやってきたので,お寺に向かう。

本堂にあがり,お参りをした後で,お花の順番と名前を確認する。詰所に戻り,受付の準備をしていると17時くらいになった。予報とは反対に暑いくらいの一日。風雨が非道いよりはよほどましではあるものの,暑さはこたえる。

仕事関係,ご近所,先に亡くなった義母の親戚などで,通夜が始まった。宗派の違いを読経のときに感じた。ここでは同じフレーズを繰り返す。いきおい同じ低音が増幅されて堂内に響く。まるでホーミーのように倍音が聞こえる不思議な読経だった。御膳料が少し多めだったので,海老一染之助・染太郎よろしく「いつもより余計に諳んじています」のかというくらい長い時間に感じた。

精進落としとは名ばかり,鮨と煮物,てんぷらなどにアルコール。義母の葬儀以来かもしれない家内の親戚筋の姉弟と同じテーブルになった。二人とも久しぶりだ。男の子といっても30歳は過ぎただろう。初めて会ったときは中学生くらいの頃で,井之頭公園から住宅地に伸びる坂で亀を眺めた記憶がある。仕事を途中で辞めて一年間海外留学の後,別の仕事に就いたようだ。どこかで聞いた覚えがある行き来だ。音楽の話ばかりできたし,下手な気をつかわなくてよいので助かった。美大を出たお姉さんは装丁と短歌をやっていて,一度,仕事をお願いしたことがある。震災の年から1,2年後,御茶ノ水のロシア料理屋で食事をしたのが一番最近のこと。初めて会った娘さんは4歳くらいで,見ているだけで楽しくなってくる。

お寺に泊まる親戚はいなかったので,そのまま家内,娘と自宅まで戻った。

翌日は,10時集合だったので慌てて家を出た。途中,サンドウィッチを買い,待合室で朝食は簡単に済ませた。

告別式は義父の親戚中心で,通夜とはがらりと雰囲気が変わる。義父の2人の弟さんが90歳,82歳なので,本堂までの階段が登り切れるか心配だったものの,手すりにつかまって登りきる。読経,焼香が終わり,棺を開け,飾り花でいっぱいにする。棺を下して霊柩車とバスに分かれて火葬場までは30分程度の距離だ。多死時代に,都下の火葬場の数は足りているのだろうか。

お別れをして,お骨になるまで待合室に移る。僧侶は32歳で,数珠は手製だという。手持無沙汰だったので,会話を少しつないで,待ち時間を乗り切る。

40分ほど後,お骨を拾う。両親のときにも感じたのだけれど,骨になると,さすがに悲しさは収まる。いのちが潰えた肉体だから悲しく,いのちの潰えた骨はそれほど悲しくないのか,それとも肉体と骨の差が悲しさを収めるのか。この前後の感情の動きは客観的にみると面白い。初手から骨で肉親の死に接した体験がないから何とも言えない。

骨壺を携えてお寺に戻る。ここで初七日も一緒にするのがほとんどだ。再びホーミーのような読経とお焼香。一連のセレモニーが終わり,一同会食。義父の弟さんは,義父にそっくりだ。遺影をながめて,90歳のおじいさんが「おれに似すぎて恥ずかしくなってくる」と頻りに言うのがおかしい。ビールを飲みながら,義父が若い頃の話を聞く。お墓参りをして散会したのは16時過ぎだった。

タクシーで駅まで行き,喫茶店でしばらく休んだ後,家に戻った。

家内と娘で,父母あわせて4人を看取った。しばらくこの手のしんどさを感じることはないと思うのだけれど。

2日間で200万円以上の代金になったのは私の父母のときと同じ。都下とはいえ,お寺に支払う代金が大きかった。今後,四十九日や相続手続き代行の手数料を勘案すると,すぐに引き出せる預金が300万円以上ないと,予算がショートしかねない。

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