東京から考える


この痕跡本を108円で買ったのはかなり前のこと。積んでおいたままにしてあった東浩紀・北田暁大『東京から考える――格差・郊外・ナショナリズム』(NHKブックス, 2007)が出てきたのでペラペラと捲っていたら止まらなくなって,事務所で仕事をした帰りに日高屋でビールを飲みながら読み終えた。

事務所が東麻布にあった当時,会社帰りに麻布十番まで歩くことが多かった。赤羽橋まで殺風景な街並みを突っ切るより,東麻布の裏道をぶらぶらしながら進み,麻布十番の雑踏に紛れるほうがホッとした。時間があるときはそのまま六本木まで向かった。

本を読みながら,東麻布から六本木までの距離を思い出した。東麻布の商店街には古本屋があって,帰りの電車で読む本はそこで調達する。狸穴の下あたりに向かって西に進むと,インド料理店や蕎麦屋,リーズナブルにチリが食べられる店も開いていた。チリというのは,ピーター・フォーク演じるコロンボの好物料理だ。麻布十番まで1キロ足らず。六本木まで歩いても2キロくらいの距離だけれど,何となく生活感を受けながら歩いた。それは『東京から考える』で語られているような「都市の郊外化」とはかなり違う感触だ。

もともとこのあたりは長い間,陸の孤島のように存在してきた地域だから,南北線や都営大江戸線が通ったことで少なからず恩恵はあっただろうけれど,駅に従属してきた町ではないと思う。

「郊外」というのは生活が駅に従属する町のことであって,「地方」というのはまた,駅に従属しない町のことをいうのかもしれない。

とはいえ東京を例に考えると,山手線から放射線状に延びる私鉄沿線は,それではすべて「郊外」になってしまう。東麻布は「地方」だ。ただ,鉄道に従属しないという意味では地方も東麻布も成り立ちは変わらない。要は郊外化する地方と郊外化しない地方があるだけのことだろう。

また,「生活が駅に従属する」というのは,通勤に電車を用いることが生活より優先される地域だと仮定してみる。そうすると今度は「都心」が「郊外」になってしまう。結局,「郊外」とは,通勤のために費やす1時間~1時間半を何かと引き換えに手に入れられる地域とでも仮定しなければ通らなくなってくる。

職場は渋谷区にもかかわらず,川崎市麻生区,駅から15分などという場所に家を買う判断をいくら私が理解し得なくとも,そういう判断をする,できる人が少なくないのは事実なのだ。

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