頭痛

朝から頭痛が非道くて,会社を遅刻。

まだ午前中のうちに用意を済ませ,会社へ。頭痛のときについてまわる眠気と闘いながら(ほぼ完敗),18時半くらいで切り上げる。『死すべき定め』をまとめて読みたかったため,駅前の喫茶店で30,40分休憩する。

昨日の続き。

対話の経路は複雑怪奇
ボクがあんたの目を見つめるのに
いったいいくつの許可がいる
ボクの声が聞こえるか
(P-MODEL“ダイジョブ”)

コミュニケーションについて考えるとき,竹内敏晴さんの著作とP-MODELの曲を通して見直すところから始めるようになってから20年以上経った。それは,中島義道がPHP新書で『対話のない社会』をまとめたり,その後,たぶん阿部謹也だったと思うのだけれど,大学生が教授を糾弾した学生運動時代以降から書き起こして,日本の世間を糺した本を出し始めたころのことだ。

P-MODELの1st,2ndアルバムのコンセプトはオーウェルの『1984』が元になっているので,わかりやすい。リリースと少し遅れながら聴いていたときは,実のところ,3rd以降のユング心理学からトランスパーソナル心理学をネタにした曲のほうが好きだった。今でも,気に入っているのはそちらの曲の方なのだけれど,コミュニケーションを考えるなら圧倒的に1st,2ndの曲だ。“一気に飛ぶよに 本気で愛して”などという歌詞をもとに論を立てようなら,コミュニケーションの前提さえ揺らいでしまいかねない。

声の大きさやバッチの数は,「対話の経路」を遮断するのには有効かもしれない。しかし,それで対話が成立すると考えること自体,妙な考えだ。

中学時代の友人と久しぶりに新宿で会ったのは平成の初めころだった。彼は阿含宗からどうにか抜け出したところだったようで,にもかかわらず,そのとき待ち合わせたもう一人はまるっきりマルチ商法に嵌っていたので,不運な奴だなと感じたことを思い出す。マルチに嵌った奴とはそれっきりで音信不通になり,元阿含宗の奴とは会う機会が増えた。何度かスタジオに入り,ベースを弾いてもらったこともある。

1980年代をほどんど会わずにいたにもかかわらず,そ奴と酒を飲みながら話が合ったのは,この10年近く,結局,お互いコミュニケーションの前提をうろつきながら過ごしたことを確認したときだった。対話に対する過度ともいえる緊張感について,うまく説明できないのだけれど,当時,さまざまな機会に感じたことは覚えている。

しかし,オウム真理教事件以降,そのあたりの感覚はすっかり変わってしまった。今や,対話の経路の可能性さえなきに等しいところでコミュニケーションが始まっているのだから,いや,まったく。

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