洗脳

午後から会社で仕事。早めに終えて,不忍通りをバスで駒込方面に向かう。BOOKS青いカバに入る。山口泉『旅する人びとの国』上下巻を発見。 しばし悩み,結局,星野博美『みんな彗星を見ていた 私的キリシタン探訪記』を買って帰る。山口泉の本は買いたかったのだけれど,それなりの定価がついていたことと,今更,読み終えられるのか疑問に思い,買わなかった。星野博美の本は,ほとんど読んでいるものの,『コンニャク屋漂流記』をとん挫したため,買っていなかった。ページを捲ると,読みたくなってきた。駒込まで歩き,東口あたりをぶらつき,ハイボールとつまみで,『洗脳の楽園』を読み進めた。

寝る前に『洗脳の楽園』を読み終えた。この手の本は一息にページを捲るのが正しい読み方だ。洗脳技術は意図のある/なしに関係なく,人を操作するシステムとして完成してしまっているので,一度,そのシステムが動き出すと,結果はおのずと同じようなところに陥る。

ヤマギシ会がよいことをめざしていようがいまいが,そのシステムを意図してかどうかわからないものの,動かせてしまったには違いない。得てして善意をもとに,そのシステムは動かされるような気がする。

本書を読みながら,そんなことを感じる一方で,“SCUBA”以降の平沢進の作品は下手するとヤマギシズムとの共通性を指摘されてもしかたない危うさがあると思った。本人はユングやトランスパーソナル心理学,ニューサイエンスを元ネタにしてインタビューに対応していたものの,洗脳だと叩かれてもしかたのない側面がある。P-MODELのライブでも,平沢に他者を操作しようとする意図がないとは必ずしも言えないアプローチはあった。

ただ,あれらの作品とそれを元にしたライブを「洗脳」と切り捨ててしまうのは,やはり根本が違っていると,とりあえずは思いたい。(加筆予定)

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