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連休の谷間。カレンダーのセルに予定一覧が映りきらないほど仕事が錯綜中。インタビュー原稿は21時くらいままかかってまとめ,校正に送る。

武田砂鉄『日本の気配』を読み終えた。後半は削ってしまってよいように感じた原稿がいくつかあったものの,全体,とても面白かった。とにかく,いくつもの箇所で読みながら不快感が湧きあがってくる。

早速,読み返す。で,数日前に記したマンションの2階,3階住人の間の諍いの箇所。言い争うときは使いやすい言葉で,という思考実験。

10年ほど前のこと。当時,米国に暮らしていた知人が恋人と喧嘩するときの様子を聞かされたことがある。米国でのやりとりだから基本,日常は英語でコミュニケーションをとる。話を聞きながら気になったのは喧嘩のとき,どうしているのかという点だった。英語で喧嘩ができるほど堪能ならば越したことはない。しかし,実際には黙ってしまうのだという。喧嘩のとき,日本語が出ないのか。気持ちはわからなくないものの,少し不思議に感じたことを思い出す。

言い争いするのだから,初手から言葉が通じようが通じまいがどちらでも変わりないのではないだろうか。

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