バンド

古本屋で買った武田砂鉄『紋切型社会』(朝日出版社)を捲っていて,この前読み終えた。興味深い箇所があり,大したことない箇所もあった。気になったのは,ただ「若い人は,本当の貧しさを知らない」の項だ。

体験に基づく伝承と,探究で得た知識とを比べる。後者は前者に勝てないように設定されているが,早々に頷くべきではない

同書,p62

として,2004年,ザ・フー初来日時のフロアの声が再現される。

「やっぱりジョン・エントウィッスルがいないとダメなんだよね。結局,フーってのはさ,キース・ムーン亡き後は,ジョンのベースを軸にしていたわけさ。ロジャー・ダルトリーのヴォーカルも健在だったし,ピート(・タウンゼント)も年の割に動きは良かったよ。うんうん。でもさぁ,やっぱりジョンがいないと。オレは認めないよ。オレが数年前にアメリカで観たライブは違ったんだよ。いやー,やっぱり,ダメだ,うんうん。ジョンがいないと,やっぱり,いやー」

……体験が記憶の中に保存されている,という状態を前に,新参者は対抗するのを諦めるしかない。……太刀打ちできない武器を使って。目の前で行なわれたライブを否定しにかかられてしまうと,こちらは相手に聞こえるか聞こえないかくらいの舌打ちをしながらその攻撃を嫌々受け止めることしかできなくなる。

同書,p.63-64

最初読んだとき,あ,よくこういうこと言ってしまうな,と思ったものの,かなりひっかかった。しっくりこない。読み返してみて,確かに言いがちのことではあるものの, 「若い人は,本当の貧しさを知らない」とはまったく話が違うと思った。

たとえば安部譲二の『殴り殴られ』(集英社文庫)に登場する矢作俊彦の解説を読めば,それが「若い人は,本当の貧しさを知らない」と短絡的につなげて考えるような話でないことはわかるのではないか。

ボクシングのチャンピオンは,誰もが敗れ,倒され,現役を引退していく。これは長嶋茂雄の引退と比較するとわかりやすい。後楽園球場で涙する5万人のファンに囲まれて引退する長嶋ではなく,後逸し,やじられ,敗れていくかつてチャンピオンであった選手を安部譲二は応援していくのだ,と矢作俊彦は書いていたはずだ。

他の例に頷くことはできるものの,そこにロックバンドのライブでの体験を短絡的に入れてしまったため,すっかり興ざめてしまった。 体験で否定しにかかられた目の前で終わったライブは,では,どうだったのだろう。 2004年のザ・フーがチャンピオンであるなら,先のようなフロアの声はかき消されたに違いない。「本当の貧しさを知らない」「戦争を知らない」と,「本当のザ・フーを知らない」はまったく類の違う話だ。

敗れていくチャンピオンとともに歩むには,それなりの覚悟が必要なのだ。

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