過剰

月末に裕一が来るので,学生時代の友人と集まることになった。探偵稼業の喬史は直前にならないと予定がたたない。彼以外は予定を入れてもらい7人になる。さて,もう一人くらい声をかけようかと思った。

駿崎君と最後に会ったのは4年前のことだ。児相を退職し,事務所を立ち上げるまで放浪するといっていたが,昌己にメールすると「事務所立ち上がったみたいだ」とURLが送られてきた。

駿崎君というと,1年のとき,カンニングが見つかって,単位没収という過酷な目にあったことをまず思い出す。翌年,単位がとれるというので参加した少年自然の家のボランティア研修のとき,テントとログハウスに分かれて寝床を確保した。夜の昏さにふと「黄漠奇譚みたいだなあ」とつぶやいたら,「あれとは違うだろう。でも,ああいう小説読むのか」と声がかかった。声の主が駿崎君だったはずだ。

それほど親しくはないけれど,会えば声をかけるし,学校があったのは狭い町だったので,昼食をとるため喫茶店に入れば,見かけることもあった。混雑時は同じ席に通されることだってあったはずだ。

駿崎君のように,知らないわけでなく,かといって距離感がそれほど近くない知人は歳をとってから増えるような気がする。

で,本題。駿崎君が始めたカウンセリングルームのサイトにアクセスした。何だかすごいサイトに来てしまったなあ。全体,モノトーンで統一されていて,使われている写真は4ADのジャケットみたいなものばかりだ。アクセスのページに配置された写真は,まさか本当に事務所がある場所のものではないと思うが,百歩譲っても,毒りんごを盛る老婆の住処くらいにしかみえない。

タブに「フィロソフィー」というのがあって,スピリチュアル系というかなんというか「クライアントを篩にかけてるとしか思えない」要素がてんこ盛り。対応できることが,これでもかとばかりに記されていて,読んでいるうちに他人の連想ゲームに付き合わされているような,関連妄想ってあったなとか浮かんできてしまう。

唯一まっとうであるがゆえに,もっとも違和感を覚えたのが駿崎君のプロフィールページにあしらわれた自分の写真で,昨夜,徹にサイトのURLを教えたところ,「ヴェンダースの映画みたいで感動した」と,これまた妙な返事があったのだけれど,「しかし一番驚いたのはプロフィールの写真だ。とても同級生には思えん。神足じゃねーか」とここだけ適切な返事が返ってきてホッとした。

何だかすべてが過剰なんだよな。褒め言葉ではあるんだけれど。

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