切り取り

 ヴァージニア・ヘンダーソンは1960年に,“Help the patient with……”で始まり,“Help the patient with……”で統一された,看護の基本となるもの14項目を発表した。病人の現場に身を置き続けた人にしかできないシンプルで優しく,かつ深い看護の思想が,詩のようにして連なっていた。ぼくは自分流に日本語に訳してみた。意訳となった箇所もあったが,「助けよう 患者さんの……」の二語で始まるようにしてみた。患者さんはいつも,「Help me(助けて)!」と叫ぶ。その叫びに援助の手を差し延べようとするところからケアが始まった。

1 助けよう 患者さんの 光と風と呼吸
2 助けよう 患者さんの 飲食
3 助けよう 患者さんの 排泄
4 助けよう 患者さんの 動作
5 助けよう 患者さんの 睡眠と休息
6 助けよう 患者さんの 衣服
7 助けよう 患者さんの ぬくもり(体温)
8 助けよう 患者さんの 皮膚
9 助けよう 患者さんの 安全な環境
10 助けよう 患者さんの コミュニケーション
11 助けよう 患者さんの 祈り
12 助けよう 患者さんの 仕事
13 助けよう 患者さんの 遊びや旅
14 助けよう 患者さんの 学習そして成長

 1から14までを訳しながら,改めてどれもこれも9犯の部屋にはなかったと思った。

 別の日,9犯とは別の患者さんが刑務所に入り,面会を求めてるということで,初めて刑務所にいった。面会のあと,職員の方に刑務所を案内してもらった。

 作業場,洗濯場,調理場,風呂場,図書棚,テレビおよび水洗トイレ付き房を見せてもらって,思わずうーんと唸った。予想以上に光はあり,食事はよく,環境は恵まれているように思った。家に帰ったあとも考えてみた。あんなに恵まれていたら,刑務所ではない,のではないか。でも思い当たることがあった。10番だった。「コミュニケーション」これだけは刑務所で容易に許されていない,と思えた。さまざまなコミュニケーションを抑圧して障害を与える,それが根本的な罰だった

 10番が欠落すると,その他のすべても,一見満たされているように思えるが,ほんとは満たされていない,のではないかと思えた。あれは嘘の光で,嘘の飲食で,嘘の休息で,嘘の仕事で……。だからほんとの意味では,14項目は刑務所では満たされていないのではないか。

 日々の臨床の場は刑務所とは確かに違う。でも閉ざされたり,隔てられたりすると,刑務所的になる。いや,気をつけないと,病院より刑務所の方がよほど行き届くということが起こり得る。病院が刑務所に負けてしまう。

 話はそれたが,ヴァージニア・ヘンダーソンの14項目の世界は,たとえば失った人,閉ざされた人,隔てられた人にとっては,とても大切なキラキラと輝く宝物のように,見えるのだと思う。

 1996年3月19日にヴァージニア・ヘンダーソンは他界した。ぼくが一番会ってみたかった人だった。一度も会ったことがないのに,ぼくはなぜか深い親しみをヘンダーソンに感じる。 

徳永進『臨床という海』(看護の科学社)

これが後半で,打ち込みながら,別のあれこれを考えた。

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