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午後から出社して,少し校正をすすめておく。18時過ぎに区切りをつけて退社。池袋で夕飯用にお弁当を調達する。値下げする時間がいつもより早いようだ。人出は相変わらず少ない。夕飯後,NASからサイト公開の作業を再開するものの,なかなかうまくいかない。トップのタブに並べた“Quotation”はいまだアクセスできないまま。NASから公開できるようになったらレンタルサーバー使わなくてよくなるので助かるのだけど。

Twitterでときどきやりとりをしていた方へのフォロー(私→相手方)がはずれていた。はずした覚えはないので,ブロックされると,こんなふうになるのかもしれない。このところの新型コロナウイルスをめぐるさまざまな対応について,とらえかたが違うなあと思っていた矢先だったので,思いついたのはそんな理由だった。もうしわけないので,こちらからもブロックしておいたものの,そんなことする必要がないと気づき,元に戻す。とりあえず,はずれていたフォローはそのままにして。

SNSがフラットな対話空間になるなどとは初手から思いもせず,ただ,こうして使っていくと,公私の枠がはずれかのようで,にもかかわらず世界を狭くしてしまう気がする。似た意見を強固にする承認・安心装置にするのは少し惜しい。

北山修が以前,こんなニュアンスで話していたことを思い出す。「ぼくがこんなに君のことを考えているのに,どうして君は僕のことをこの程度にしか考えてくれないのか」と「ぼくが君のことを考えているのはこの程度だから,君がぼくのことをこの程度に考えているだろう」との決定的な違い。(広義の)パーソナルコミュニケーションの前提が過度すぎるのだ。

エリック・ホッファーの「希望ではなく勇気」のメモを引っ張り出してきた。数年前,高校時代の友人と久しぶりに池袋で飲み,この話を持ち出したときには,勇気という言葉に対して抵抗感がまだあった(このあたり)。ただ,その後,事が起きるたびにこの言葉を思い出し,希望でなく勇気で物事をみる習性がついてしまった。

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