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朝夕は夏を過ぎたのか。夜,帰る途中に蝉の声はほとんど聞こえない。かわりに線路際から鈴虫と蟋蟀の鳴き声が確かに聞こえる。

午前中はマンションの防災確認があり自宅待機。午後から出社して,19時くらいまで仕事。家内と高田馬場で待ち合わせて,大地のうどんで夕飯をとる。スーパーマーケットで買い物をして帰宅。テレビを見て,少し早めに眠る。

先日,会社帰りに近くの書店に立ち寄ったところ,70代の小柄なおじいさんが店員と立ち話中。「この店で,この本は売りたいと力を入れているものがありますか」「いまは買えないけれど,そういう本があれば買いたい」「あなたのお名前は○○さんというのか,いい名前だね」「小池百合子という女優さん,昔は好きだったけれど,最近はどうしたんだろう」などと。

最初は,町の本屋さんっぽさも少しあって,こういうやりとりがあるのかと耳を欹てずに聞こえるがままにしていたところ,話が少しずつおかしな方向に移る。後半では小池百合子は昔の芸能人(映画俳優?)になっているし。不特定の方に開かれた店というのは,こうした人とかかわらざるを得ないのだなあと,妙な気持ちになった。

一箱古本市を,特に私が並べている本を覘いてくださる方との場を,町中の書店と同レベルで語ろうとするのがおかしいのだけれど,とはいえ,強引にそういう点からしてみると,一箱古本市という場はよくも悪くも均質性があるように思う。

一方で,常に同じ場に開かれた空間を通り過ぎ,また,場を共有する人に対し均質性を求めるのは酷だろう。テーマを絞った古書店やセレクトショップ,あえて向かわなければたどり着かない場所などにある店は,立ち寄る人の均質性がある程度担保できる。反面,生業として維持するには,品物のラインナップ,価格設定などのハードルが高くなる。

いくつかの領域で,このところトランジションがキーワードになっていて,トランジションにおけるケアの必要性が問われているものの,実はスタブルなほうがケアのニーズに接している気がする。

ヴァーチャル・ディスタンシングなWeb古書店は,リスクがほとんどない一方,埋もれてもしかたないと覚悟しつつある。

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