会社にパソコンが入った四半世紀前のこと。それまで,編集作業に必要なのはワープロで,パソコンが必要な状況はあまりなかった。MacでDTPという手はあったものの,モリサワのフォントの恰好悪さは昔からのもの。活版印刷後,写研のフォントがメインだった10年ほどを経ても,せいぜいワープロで文字データをつくり,テキスト入稿がせいぜい,という数年の間のことだったはずだ。
管理者は活版時代の会社員で,だからパソコンを家電として初手からみていた。冷蔵庫,洗濯機,テレビの流れにパソコンが置かれたような代物。そこにパソコンの知識は月刊雑誌で手に入れているものの,なかなか自前ではパソコンを買えない上司が進言する。「これからはパソコンとインターネットの時代ですよ」と。
ロートルは得てして最先端に弱い。そう進言されると,さもこれまで検討してきたかのように,うちもパソコンを買って,ホームページをもたなければ,ということになった。会社に一台,管理者用にラップトップを一台。加えて管理者は椿山荘まで宿泊パソコン研修に出かけた。
ネットが開通し,デザイナーに依頼してホームページが仕上がった。パソコンとメールでの作業時間が一気に増えた。
研修まで出かけた管理者は,ところがパソコンがどんなものか理解をしていなかった。いや,基本的な使い方云々ではない。パソコンが完成したモノではなく,流動的に増殖していくメディアだという認識は,管理者がもつにはかなりハードルの高いパラダイム変換の壁を越える必要があったのだ。あれから四半世紀を経て,ときどきいまも管理者はその壁を越えていないのではないかと感じ,怯えることがある。
「冷蔵庫とか洗濯機とか,買ったらそれで何年も使えるでしょう」
しばらく後,管理者が上司にそう文句を言ったときのことをいまだに思い出す。つまり,OSやソフトのアップデートとか,外付けハードディスクとか,とにかくパソコンが買ったときの状態で使えなく状況に対して,納得がいかない。もう一人の管理者もそれに同調するから情けない。「不良品を売りつけているってことか?」。世の中,この手の認識のまま,止まってしまっている恐竜のような人物はいまだにいるに違いない。
上司は苦笑したくなるのをこらえながら,できるだけ平易にパソコンを使うということについて説いた。パソコンは家電,という管理者たちの認識を無碍にしないように礼儀をもって。
MacBook AirもiPhone SE2も,このところのOSのアップデートで非道い目に遭った。自分が歳を取ってしまったからだろうか。あの管理者の言葉をあまりバカにできないように思ったのだ。