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Windowsのアップデートで半時間ほど手間取る。帰宅後,夕食を終え同じようにアップデート。Storesに届いた注文書籍の発送準備をして眠る。

35年と少し前,一人暮らしを始めた。日々の買い物には当初,国道沿いのロヂャーズを利用したものの,どうにも1つあたりの量が多い。徹は「グロスでしか売らないんじゃなかい」と皮肉っていたが,とにかく一人暮らしにはあまり役立ちそうになかった。しばらくはそれでも出かけたが,そのうち,吊るし以下のあちこち窮屈なつくりの服を買うときぐらいしか足を運ばなくなった。そういえば,米に虫がわくことをロヂャースで買った米を通して知ったのだ。古米と思しきそれは,ボウリング場だった頃の名残の車寄せに積んであったものだ。一人で食べきる遥か前に虫がわいてしまった。少し油がまわったかのような古米の匂いを覚えている。

そのうち,バス通りを駅に向かい,橋をひとつ渡った先のスーパーマーケットを利用するようになった。こちらは一人暮らしに事足りる量をそこそこの安さで販売していた。母親に頼まれて買い物をする以外,何ら切実な用事でスーパーマーケットに入ることがなかった私にとって,その店で,夕方になると惣菜に貼られる割引シールは意外とカルチャーショックだった。

さっきまで500円で並んでいたものが,途端,20%オフになるのだ。いくら世事に疎くとも,それを利用したほうが便利だということくらいはわかった。講義が終わり,学食や喫茶店でいつ終わるともないまま時間を潰していると,あ,そろそろ値引きの時間だ,と思うようになった。貧乏くさいったらありゃしないが。奨学金とバイトで仕送りが必要でなくなった翌年までの間,タイムセールのものを探しにスーパーマーケットへときどき足を運んだ。

夏休みになる少し前,徹や喬史だけではなく,昌己や伸浩あたりと時間を潰すことが多くなってからも,中座したり別れたりしてスーパーマーケットに向かった。どうせ食う時間は同じなんだから,時間に対価を払う必要ないだろう。そんなふうに言って,安売りの惣菜を買い,その日の夕飯を自宅でとった。

そんなことが続いたのだろう。あるとき,伸浩が別れ際に「昌己が『時間に対する対価』ってそのとおりだな,と言っていたぞ」と捨て台詞を投げつけてきた。褒められているのか貶されているのかよくわからない。ただ,へえ,そんなふうに伝わるものか,と思った。

家内と出かけ,値下げシールが付いた惣菜やお弁当を買うことが少なくない。衒いもあまりない。この前,吉祥寺に出かけたときは,サラダが40%オフというシールを見つけ,買い求めようとしたところ,ショーケースに並んだものすべてが40%オフではなかったので,キャンセルしてしまった。さすがに,値下げになっていないためにキャンセルするというのは忍びないと思ったものの,そのあたり家内はサラッと流してしまえるようだった。

コント番組でネタにされてもいる,この値下げシールをめざした買い物は,40年近く前,すでに始まっていたことを今更ながら思い出した。

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