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娘がドライヤーを水没させたようで「使用禁」の張り紙。シャワーを浴びて,バスタオルで入念に拭いた後,髪の毛をくるくると巻く器具でとりあえず整える。頭痛はおさまっていて,20時くらいまで仕事。STORESに入った注文の発送準備を終え,数点登録して眠る。永倉万治のエッセイを捲っている。

書きとどめておこうと思ったことがあったものの,すっかり忘れてしまった。

娘が就職して1年。後輩が入ってくるようで,話を聞いていると販売の仕事だからだろうか,ときどき矢作俊彦の『仕事が俺を呼んでいる』に収められたエピソードを思い出してしまいそうになる。私の仕事は「校了」あたりの領域とはいえ,こちらの段取りではなく著者絡みでああしたエピソードが生まれた体験は持ち合わせていない。表面的には幸福だととらえられるかもしれないが,不幸だな。いや,それを不幸だと言い切るには退廃具合が足りない。だいたいがこちら絡みのトラブルだ。あ,来週,違うトラブルの収拾に向かわなければならないものの,もともとのラインが違う話。

もともとは,創作にプライオリティを置いていたはずが,80年代を通して,あっちとこっちをつなげる機能のほうがおもしろくなってきた。矢作俊彦との対談で穴戸錠が「パーティー・ミキサー」について語っていたことがある。私にその場で何か担うものがあるとすれば,かなり局所的なパーティー・ミキサーではないかと30代に入った頃,気づいた。

それにしては匿名性の高いキャラクターだから,その場がいつの間にか,編集の場に置き換わった。オリジナリティがないことに衒いを感じながらも,「オリジナリティがないことがオリジナリティなんだ」というレトリックに後ろ盾を得たように思う。

編集とは極論,あれとこれをつなげる仕事だから,オリジナリティとか問題意識とか,は二の次なのだ。あれやこれとの出会いがたのしくて,30年以上,この仕事をしてきたようなものだ。

娘の仕事は,もう少しアイデンティティがあり,さらに相手の場に入り込んでいくスキルが要求されるのではないか。そのためには一定のスキルを身に着ける時間が必要だろう。

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