Lake

グレッグ・レイクが亡くなって何年になるだろう。

という投稿ではなく,お盆休みの間のどこかで家内とアウトレットモールに行くことにした。入間とか南大沢とかを考えたものの,結局,越谷に決めた。

学生時代にアルバイトしていた精神科の病院は,このアウトレットモールの近くにある。元荒川を越えて先なので,すぐ近くとまではいわないものの,越谷駅までとほぼ同じくらいの距離だろう。当時は元荒川を越えた先は何もなくて,そのあたりのイメージというと,何らかの意図を抱えて川に入ってしまった患者さんが辿りついてしまう場所くらいしか思い浮かばない。

昌己からレイクタウンの話を聞いたことがあって,何とも広いのだという。あんなところに誰が好き好んでそんなものをつくったのだろう。そんなものはあんなところにつくるのだと気づかなかった頃なので,話が続くことはなかった。

私や徹,喬史,裕一は東武伊勢崎線沿線のアパート住まいだったのでそのつらさを感じた経験はほとんどないものの,昌己,伸浩は武蔵野線を使って通っていたので,秋から春までの間,武蔵野線のホームの寒さについては何度も話題になった。当時へ通勤時間帯でも20分に1本,それ以外は平気で30分に1本くらいのダイヤ編成だった頃なので,1本逃すとホーム上には上がらず,ホーム下で肩を寄せ合うようにして次の電車を待っているのだそうだ。「武蔵野線のホームの風の冷たさは半端じゃないんだから」。それが南越谷駅だった。もちろん当時,越谷レイクタウンなどという駅はない。新八柱から通っていた伸浩にとって南越谷の次は吉川駅以外,考えられないだろう。

ということで,昼過ぎに家内と家を出た。高田馬場,池袋,武蔵浦和で乗り継ぎがよく,1時間もかからずに越谷レイクタウンに着いた。

買い物をして,夕飯を済ませる。帰りも同じ経路の乗り継ぎはよく,1時間で着いてしまった。にもかかわらず,越谷レイクタウンは彼方にあり,日頃通うような場所ではない。たぶん,あのままどこかのサイトで購入できるならば,わざわざ行くまでのことはない場所だ。イオンモールもアウトレットモールも,場所自体に魅力は何一つないのだよなあ。

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