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坂本龍一の訃報。芹沢俊介の訃報。で,1980年代を折り返す前,1982年からの数年間,あの時期に身に着けた所作をずっとそのまま更新せずにいることを感じる。知識との距離のとりかたや,吞み込まれかたなど,それは幸せな経験だったのだと思う。

ミュージシャンとしての坂本龍一は第一にリフの人であって,だからもしかするとマーク・ボランやロバート・フリップに通じるところの人なのだろうと思う。メロディやオーケストレーションはたぶん共同作業のうえのもので,そこにオリジナリティを感じたことはあまりなかった。

それよりも「IN☆POCKET」誌上で村上龍と続けた対談・鼎談のほうがはるかに影響を受けた気がする。ミュージシャンが小説家や批評家,学者と共通言語を通して話し合うことの面白さを,この連載でまだ10代だった私は感じたのだ。

その後,何人ものミュージシャンが同じような立ち位置で登場したものの,坂本龍一(と村上龍)のようなアウラはなかったように思う。それはまた高橋幸宏や細野晴臣でも代替し得ない,坂本龍一独自のものだ。北山修はときどき似たようなポジションに立つことがあったものの,彼は音楽家としてはアマチュアリズムのみで立ち続けた人だから,坂本龍一とは違うのだった。坂本龍一がたぶん,あの対談・鼎談で語ったなかで印象的だったのは反戦フォークに歌詞としてのメッセージは感じるけれど,音楽に反戦というメッセージを感じないことへの違和感についてのものだった。レトリックとして切り取って援用できる言葉が,あの対談・鼎談ではいくつも登場した。私が固有名詞に弱いのは,あの時期のこのような対談を通過したからだと思う。

まったく話を飛ぶけれど,宮内悠介がときどきみせる含羞,それは本,古本を通して出会った人とひょんなことから一緒に演奏する場面で見せる含羞は,本,古本の人が歌に乗せる意味はあくまでも歌詞にしかなくて,曲が付け焼き刃のように思われるからではないかと思う。あの居心地悪さを目にするたびに(数回,ネット上で見ただけだけれど),坂本龍一の言葉を思い出すのだ。

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