Atari

ページを捲りながら本の束(つか)がわからないというのは,謎に主題を置いた本にとって魅力的だと思ったことがある。物語の終わりが次のページかどうかあたりがつかないことは武器になるのではないかと思ったのだ。泡坂妻夫が現役だった...

四半世紀

徹の家というよりも,徹と連れ立ってぷらんぷらんすることがほとんどなくなってしまったため,記憶は定かではないものの,最後に八王子のはずれにある実家へ行ったのは平成元年だったと思う。 冬のことだ。片倉と相原の中間あたり,猫が...

綴り

1年くらい前から,結城昌治や三好徹のスパイ小説を続けて読んだ。バーに勤める女性がこの世に存在しなければ,彼らの小説が描く世界は違ったものになったのだろうか,それとも小説自体書き記すことがなかったのだろうか,などと思いなが...

つぼ

最近の話。 くるりに,こんなに嵌るとは思ってもみなかった。新譜(CDシングル)の“o.A.o”のミニマル具合は,ほとんど80年代のクリムゾンに並ぶものだし,タイトル曲を聴いて,少し前に書いた通り,The Beatlesの...

むかし

私にとって,昭和60年代の記憶が「むかしのこと」になったのは10年くらい前だと思う。それまでの10年と少しは余韻のようなものだ。 そこから先,リアルタイムの記憶を積み重ねていたはずが,初めあたり,つまり21世紀に入ってか...

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