横長

以前の事務所から抱えてきたモニターをこの2年,使ってきた。不自由はしなかったものの,変えようかと思ったきっかけはツイッターの閲覧制限だ。インターネット上の規制に対してはどうにもなじめなくて,自主的に閲覧を制限してサーバーを維持するような状況にはかかわってもよいのだけれど,環境管理的なしくみのもとで使う気にはなれない。

数年前からVivaldiをメインブラウザーとして使っているのは,このブラウザーに環境管理的な構造を感じることがほとんどないからで,そのVivaldiはVivaldiSocialというMastodon機能が搭載されている。これをツイッター代わりししてみようと,アカウントを追加していたところ,数日でいい按配になってきた。VivaldiSocialはモニター左1/5くらいのスペースに常駐させることができて,ただそれには昔のモニターだと左右幅が短いのだ。

Amazonのタイムセールで23インチと少しの大きさのモニターが1万円ほどになっていたので,つい購入してしまった。不要になったラップトップやルーターを処分する段取りをとっていたところなので,モニターもついでにお願いすることにした。

ただ,週末,新型コロナの濃厚接触者になったため,予定をあれこれと調整し始めることになり,処分の段取りは少し遅れそうだ。

masto

たかがSNSのプラットフォーム? ごときに四苦八苦するのはおかしいとは思うものの,この10年で情報のルートがさらに変わってしまったのだ。

さらにというのは,検索エンジンが登場してしばらくの頃,素人のサイトはアクセスしない前提でネット情報をあたっていた時期があるからだ。ネット上の情報はその程度の量と質だったのだ。素人のサイトから情報を引っ張るくらいならば図書館などで新聞や雑誌,書籍のあたりをつけて足を運ぶほうがどれほど効率的か,いや,効率的ではなく,選択肢としてじかに足を運ぶことで得られる情報のほうが圧倒的に秀でていたのだからしかたない。ライコスあたりで検索すると,ゴミのような情報までフラットに引っかかってきた。今にして思うと,それはよい時代だったのだ。優劣なく,フラットに情報は並んでいた。数年が経つと,アクセス数やなにがしかの量によって情報に傾斜がかかるようになった。足を運ぶことよりもネット上の方が秀でているかのように感じることがあたりまえのようになる。

検索サイトの選択ではGoogle一強になり,環境に管理された質が目の前を行き来するようになった。

そのほかの選択肢としてSNSが登場したような形になり,にもかかわらず質が問われるのは量の後ろ盾あってのことというのは変わりない。

Mastodonで量は分散され,とはいえ質の問題は一朝一夕に展望が開けるようには思えないな。

Don

ツイッターに規制がかかったので,以前にアカウントはつくっておいたVivaldi Social(マストドン)の環境を調子し始める。ツイッターのフォローアカウントの何分の一かとは同じようにつながることができ,しばらくするとタイムラインがよい感じに流れるようになってきた。このくらいの利用者であれば,発信しながら,様子を眺めていくのがよいかもしれない。アカウントを実名アルファベットで登録したので,まあ,いろいろとしがらみはあるのだけれど。

6/26

京都出張予定を急遽,変更。明日以降に手を着けるはずの作業が少し片づく。夕方,家内と高円寺で待ち合わせて買い物。8月に閉店だという庚申通りのDRAMAはほぼ半額まで値が下がっていた。ごんがしばらく前から再開したので,入ってみた。オムライスを食べる。

『アポカリプス殺人事件』はこの前読み終えたというのに,普通に読めてしまう。最近出た本であっても同じように読める本はあるし,あるのだろうけれど,何が違うのかよくわからない。

週末,仕事のことで慌てた件はおさまり,あいかわらず課題が目の前にある。

土曜日には,娘の結婚のことで向こう(という表現でよいのか?)のお母さんとともに昼食。同世代なのかよくわからないけれど,話はしていけそうな感触だ。

Re read

少し前に読み終えた笠井潔の『アポカリプス殺人』をまた読み始めている。歳をとってから,読み返すことが苦にならないどころか,どこかあたりまえのことになってきた。

一連のエントリーのどこかに,大江健三郎が「この小説を三回読んだ」からすぐれた小説だと称した個所について,高橋源一郎が何か書いた箇所だったか,もしくは高橋源一郎も三回読んだからすぐれた小説だと記していたのか,とにかく三回読んだくらいでどうのこうのいうのはおかしいのではないかと思ったことを書いた。

いまも小説を三回くらい読み返すだけで,すぐれたものかどうか判断するのはおかしいと思う。何かを判断するために読むのではなく,ただ読むのだから。

ただし,そうなると,手元にある本を読み終えることはもはやできないのだろうと,とっくにあきらめていたことを今さら思い直すのだ。

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