国分寺

昼に目白で打ち合わせ。四半世紀前,同じ職場で仕事をした私の一番年長の友人が定年前に退職するという。昨年,M&Aで会社の屋台骨は安定したものの,畑違いの親会社のビジネスモデルとは折り合わない。外資に買収された会社と,それはあまり変わらないに違いない。

事務所に戻り,夕方から国分寺に。イラストレータの櫻田さんが上京され,北口の画廊でオープニングを兼ねたライブを開く。といっても,展覧会のメインはギターデュオの相方である陶芸家の方。案内をいただき,ここ数年,何度か聴きに行っている。オリジナルと名曲のカバーをギター2本にゲストのカホンで演奏するスタイルだ。

家内と国分寺で待ち合わせて,会場に入るとライブはちょうど始まったところ。一番前の椅子が空いていて二人でそこに座り聴くことになった。甲州ワインを陶芸家さん作のマグカップについでいただく。これまでは二階のスペースで,時には予約をとって演奏されていたけれど,今回は一階で知ったもののなかでの演奏という感じ。

櫻田さんは途中から加わり,“名曲”が次々と演奏される。坂庭省吾が訳詩をつけて歌っていたというアイリッシュフォークには,さらに小さなアイリッシュフルートの演者も加わり,これがとてもよかった。ラスト2曲は「インプレッション」と「また逢う日まで」。「インプレッション」は櫻田さんのリードに,途中からギターのカッティングが入るのだけれど,拍の表から入っているときがあったり,裏から入っているときがあったりするような気がする。この日は表から入っていた。

ステージを終えた櫻田さんと一緒に,国分寺の北口の飲んだ。何年振りだろう。適当に入った店だったけれど,とても美味しかった。

20数年前,共通の知り合いを通じて仕事をお願いするようになってから,とにかく途切れることがないのは,他に代わりがいないクオリティのイラストを毎回,描いてくださるからに尽きる。とはいえ,櫻田さんの人柄も影響しているかもしれない。まったく変わることのない信頼感は人柄ゆえだろう。

知り合った頃は新井薬師や中井,江古田でよく飲んだ。今度は昌己も交えて,昔飲んだ店に行ってみたくなった。

お好み焼き

故郷に帰る知人と夕飯を食べることになった,と家内から連絡が入る。娘と待ち合わせることにした。

仕事はメールでの連絡中心で,とにかく受けていただけるように文面,どこまで一回のメールに記すかを悩む。久しぶりに定時少し過ぎで事務所を出た。

駅ビルのセリアで,みちくさ市で使う売上カード用の用紙を調達し,高田馬場まで行く。しばらくして娘がやってくる。店を探しながら歩き,天天飯店の並びのお好み焼き屋に入る。

狭い店だと思ったら,奥はかなり広い。前菜とお好み焼き,もんじゃ焼きを注文する。お好み焼きは焼き上げてもってくるとのこと。子どもの頃,もんじゃ焼きを食べた経験がほとんどないので,この手の店に入ると,いつも他人まかせにしてしまう。今日も娘につくるのを頼み,私は少しだけサポートした程度だ。

19時まではもんじゃ焼きが半額になるとのポスターが張ってある。どうりで学生の姿が多いはずだ。1時間くらいかけて,頼んだものを平らげた。

家に戻ったのは21時を少し過ぎたくらい。ほんの少しして家内も帰ってきた。明日,アルバイトがある娘は先に眠り,家内と二人で「カルテット」第9話をみた。次週が最終回だという。どのような展開になるのだろう。以前,最終回に1年後の話をもってくるドラマがあったように思う。なんだっただろうか。

胃カメラ

気が重い。一度,職場に出てから,10時過ぎに出版健保に行く。先日の健康診断の結果が「再検査の必要あり」で胃カメラをのむのだ。

数年前に初めて胃カメラをのんだときは静脈経由の全身麻酔で行なった。チクリと針が刺さった後の記憶はない。気がつくと待合室の椅子に座らされていて,力が抜けていることを感じた。潰瘍はなかったもののピロリ菌がいたので抗菌薬を飲み,何とか除菌できた。

次に胃カメラをのんだのは出版健保の再検で,このときは部分麻酔で喉をチューブが入っていくのが非道くつらかった。

今回も部分麻酔だ。あのときの痛さと呼吸が不自由になりそうな感じが蘇る。ただ,引き返してもどうにもならないので,とにかく受付を済ませる。予定時間より早くついたものの,だからといって待ち時間が長くなるわけでない。第一,私のほか,誰も検査に来ていないのだ。受け付けが終わるとすぐに診察室に呼びこまれた。

着替えをして喉の奥,左右に数回,麻酔をスプレーされた。ベッドに横になり,医師からさらに数回のスプレー。マウスピースをはめられ,モニターに映るのは,口腔内をチューブが入っていく様子だった。喉頭蓋のあたりを進むときがもっとも痛い。刺激されて嚥下反射が起こる。

背中をさする看護師が「鼻から息を吸って,口から吐いて」という声が聞こえた。ほとんど出会いがしらの事故のような状況なので,前回はそのことを意識したかどうか定かでない。とりあえず,鼻から息を吸って,口から吐いてみる。おお,なんとかなりそうだ。

部分麻酔で胃カメラを受けるときのコツは,つまり「息は鼻から吸って,口から吐く」ことなのだ。

それがわかってから,なんとか滞りなく検査は済んだ。逆流性食道炎と慢性胃炎の様子はみられたものの,他は心配ないだろうとの説明を受け,職場に戻った。

今月の課題本,チャールズ・ブコウスキー『パルプ』を通勤の途中,読み進めている。これが面白くて,途中に栞を挟まずにページを捲ることにした。記憶に残っているところから続きを読むのだ。この方法だと,一度読んだところでも記憶にないところはもう一度読むことになる。つまらない本を二度読むほど馬鹿げたことはないが,幸い『パルプ』は面白い。面白い本は栞を挟まなくても不便を感じないのだ。

寝る前に山野浩一の『花と機械とゲシタルト』を読み始めた。こちらの栞を挟んでいない。昔,この小説のインサイドストーリーのような夢を見た。すっかり忘れていたけれど,BGMは,Public Image Ltd.の”Four Enclosed Walls”だった。夜。海に向けて並んだ窓を開け,ステレオセットから”Four Enclosed Walls”が鳴る。目の前の海と空の星。そして波の音。

免許更新

免許証を手に入れてから,更新は毎回,新宿で行なったと思う。1か月前,免許証更新時期の案内が届いた。12月に義父の家を片づけたとき,財布ごと失くした免許証はまだ出てこない。免許証を紛失したままなので,新宿では更新できない。初めて東陽町免許センターに行った。

2,3日前,被せものがとれてしまったため午前中,急きょ歯科に予約を入れ,治療を受けた。一度家に戻り,必要な書類を揃えて再び家を出た。陽のさすあたりは暖かい。高田馬場で写真を撮影して東西線に乗り換える。免許センターどころか,たぶん東陽町で下車したのは初めてだ。巨大な団地群が目の前に現れる。ここに用事なんてあるはずがないな。

とにかく時間はかかったものの,段取りは恐ろしくスムーズだった。2時間ほどで更新を済ませた。昼食をとり,東西線でそのまま高円寺まで行った。50歳をすぎてから高円寺がまた居心地よくなってきた。

北口に出て,古本屋をまわる。中央書籍販売の棚を覗き,越後屋書店をめざすが休み。十五時の犬さんが開いていたのでじっくり見て回る。棚を眺めるうちに山野浩一の『花と機械とゲシタルト』があるかもしれないと思ったところ,レジ下のガラスケースに入っていた。5,000円だ。私は10数年前,この本をヤフオクに流したとき,10,000円で落札された。当時住んでいた北越谷で新刊を買ったもので,すでに経年劣化していた。どこか後ろめたく,新書館版『X電車で行こう』を同梱して送った記憶がある。背表紙まわりにすれがある以外,状態は私がもっていたものと変わらない。もちろん購入した。値は張るけれど,そんな経緯があるので,なんだか本が戻ってきたような気がした。十五時の犬さんの品ぞろえと,本の並べ方も,ある種理想的な古書店だ。叶わない祈りだけれど,この棚が維持できるよう,日本に地震が起きないでほしい。

南口にまわり,アニマル洋子まで上り,南口の東側を久しぶりに見て回る。徹が古着屋で洋服をまかなっていたころ,最終的にこのあたりの古着屋を利用することが多くなった。私もつられて何度か利用したことがある。パルからルックあたりの古着屋に比べると,ブランド品が多く,値も張ったけれど,長く使えるものが並んでいた。四半世紀も前のことだから店に見覚えはないけれど町の雰囲気は変わらない。

18時頃,娘と家内がやってきたので再び店を案内し,パル~ルックの店を見て回った。明日は健康診断の再検査のため,夕飯は早めにとらなければならない。北口のイタリアンで食事をとった。高円寺には珍しく,酒場ではなく,食事だけでも十分な店だった。

東中野経由で家に戻る。

沖縄

花粉症が非道い。午前中起きて,朝食をとったものの,たまらずにしばらくして再び横になる。午後早めに起き出し,シャワーを浴びる。家内と高田馬場に行き娘と待ち合わせて昼食をとる。1人先に帰り,部屋を片づけながらみちくさ市に並べる本を選ぶ。

17時半から隣の就労センター街で,ドキュメンタリー映画「いのちの森 高江」上映会・高江・辺野古報告会に参加。久しぶりに外口先生にご挨拶。ただ,挨拶のたびに初めて会うような感じになるので,結局,同じことを話している気がする。

「いのちの森 高江」は,地元で暮らす人の生活と自然の様子を通して,高江ヘリパッド建設反対の取り組みを訴える内容。最後に,ヘリパッド建設により禿げたように刈り取られた森が映し出される。東京を飛行機で飛び立ってしばらく後,千葉上空あたりから地上を見ると,醜悪に刈り取られたゴルフ場の跡を目にする。あれをみるたびに,自然保護を遡上にのせて訴えても,私たちの世の中ではなかなか通らないのではないかと,どこかあきらめのような気持ちを抱える。映画では,自然を守れというメッセージが送られ,それはとてもわかりやすいがゆえに,しかし,自分のこととしては必ずしも腑に落ちないのではないか。

昨年,同じく沖縄・高江と辺野古をテーマにした映画「標的の村」の上映会に参加した。そのとき現地で抗議活動をされている方がおっしゃったことは,それでもとても腑に落ちた。抗議活動だけで,基地建設が中止されるなどと甘いことは考えていない。ただ,工事が1分,1秒遅れることで,何か中止につながる動きが起こるかもしれない。だから抗議活動をするのだと。「いのちの森 高江」でも,そのメッセージは伝わり得るはずだ。シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』を掲げたい気持ちはあるのだけれど,少し前,上野千鶴子が中日新聞のインタビューに答えた記事への批判をみるにつけ,言葉を慎重にしなければと思う。移民云々は初手よりおかしいが,「等しく貧しく」はたぶんニュアンスの違いだ。語ろうとしていたのは「貧しく」ではない。違う形容詞が入ったはずなのだ。

そんなことを感じながら,家に帰ってきた。

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