BOWIE

夕方まで外出せずにいた一日。

午前中から家に持ち帰った仕事をする予定が,結局とりかかったのは午後になってから。部屋を片づけたり,サイトの修正をしたりしていると15時近くになってしまった。娘と待ち合わせで家内は外出する。着替えもせずに夕方まで仕事を進める。19時くらいに缶ビールを開けてしまい,ついでに缶詰も取ってきた。そこから先は仕事にならない。

デヴィッド・ボウイの誕生日と命日(?)に挟まれた一日。FMではリクエスト番組が放送されていたようだ。前後関係は記憶で埋めなければならない。1980年にアルバム“Scary Monsters”を発表後,ボウイに関する情報は演劇や映画,音楽はサントラの一曲だとか,その程度。1983年に“Let’s Dance”をリリースするまでの3年近くは,ジョン・レノンの“Double Fantasy”リリースまでの5年間とどこか似ていた。

野中モモ『デヴィッド・ボウイー変幻するカルトスター』(ちくま新書)を読み始める。面白い。ただ,アンジーとの出会いがキング・クリムゾンのライブだったという逸話が掲載されていない。あれはガセだったのだろうか?

読みかけ

朝食をとり,事務所に向かう。昨日に続いてかなり寒い。途中で高田馬場のブックオフに寄り,ヘルマン・フィンケ『ヒトラーに抗した白いバラ ゾフィー21歳』(草風館,2006),佐々木恵『WordPress Perfect Guide Book [4.x対応版]』(ソーテック社,2015)を購入した。事務所に行き仕事。暖房をつけても寒い。18時くらいまであれこれ進めて帰りにtotoruに寄る。『WordPress Perfect Guide Book』を捲る。家内,娘と待ち合わせ駅前のカレー店で夕飯。

『WordPress Perfect Guide Book』はシンプルな内容とはいえ,役に立つことが多い。家に帰ってから,このサイトに少し手を加えた。

年末に手に入れた5冊に加えて,「白バラ」に関する本がかなり揃った。読んでいきたいのだけれど,このところ読みかけの本が増えてしまっている。というよりも,一冊を読み終えるのになんだか時間がかかる。市川哲史や本田靖春の本はそれでも1,2日で読み終えたのだから,たぶん関心の持ちようが昔に戻ってしまったのだろう。

シューマッハー『スモール・イズ・ビューティフル』,井出英策『日本財政 転換の指針』も後半が読み終わっていない。引用したい箇所が多いものほど,読み終えられない傾向が強い。引用で疲れてしまうのかもしれない。笠井潔『吸血鬼と精神分析』はページを捲りはじめると面白いのだけれど,寝る前に読むものだから,眠くなってきてしまう。

過去の投稿からReferencesをつくりはじめた。さすがに今のところ覚えているフレーズばかりだが,そのうち,引用したことを忘れているものが出てくるのだろうな。

記憶

墓参りに行く予定を立てていたにもかかわらず,家内ともども寝坊をしてしまう。

かなり遅い朝食をとり,墓参りの準備。結局,家を出たのは15時半過ぎで,先に昼食をとってからひばりヶ丘に向かう。電車から見える西の空はどうにか陽光を抱えているものの風前の灯だ。駅に着き南口へ降りると冬の夜が訪れていた。タクシーで墓まで行き,暗いなかお参りをする。田無タワーの青さと星あかり。イオンモールまで歩き買い物。家内,娘と19時に待ち合わせることにした。安くなっていた靴を一足買い,3階の未来堂書店に入る。自戒をこめて,ときどきこの書店の棚を眺める。書店を維持していくには,このような店づくりをせざるを得ないのかと。
夕飯をとって,田無経由で家に戻った。

パソコンを立ち上げ,プラグインの検索をしながらヘッドホンで音楽を聴く。明日がデヴィッド・ボウイの誕生日だったことに気づき,途端,1979年12月末のFM番組を思い出した。明日から1980年代が始まろうとするその日,70年代の洋楽トップ10チャートが(リクエストだったと思うのだけれど)発表された。今となっては嘘のように感じられるほど,サイモン・アンド・ガーファンクルへの支持が多かった。「明日にかける橋」が1位だった。

兄貴をもつ芳弘はエルトン・ジョンの「グッバイ・イエロー・ブリックロード」が1位だろうという。私たちは高校一年生だった。どちらもリアルタイムで体験した音楽じゃないのだ。「背伸びしすぎだぞ芳弘」,ひとりごちた。ビートルズは小学校に入ったときに解散していた。1970年代前半に乗り遅れた世代にとって,その日発表されたトップ10は,だから決して同時代の感覚ではなかった。NHK-FMとぎんざNOWによって洋楽体験をした私たちには,1979年時点で,せいぜい3,4年のキャリアしか持ち合わせていなかった。

いまだにその経緯を直接,聞いたことはないやっかいな生い立ちをもつ芳弘に兄貴がいたことで,たぶん何かが違ったのかもしれない。そういう友人が一人いると,たぶんそのまわりにも影響があるのだろう。彼が卒業した中学から同じ高校に入った奴らは,少なからず背伸びした音楽キャリアを披歴した。

でも,1970年代の洋楽のトップがサイモン・アンド・ガーファンクルやエルトン・ジョンとは思えないのだ。あれから40年近く経った今でもなお。

6,7年

名目上,1月5日が年明け始業日。通勤電車の混み具合はまだ,おだやかだ。午後,永福町まで打ち合わせに行き,事務所に戻ってきたのは17時過ぎ。仕事を済ませ,身に沁みる寒さのなかを家まで戻る。

新曲がドラマの主題歌になったとのアナウンスを目にして,赤い公園の新曲「闇夜に提灯」のPVをみた。出だしの一小節をこま切りにしたかのようなアレンジが少し前に戻ったようだ。カウベルのブレイクも入る。メロディパートにユニゾンのフレーズがない。ライブではなかり難曲になるような気がした。

「KOIKI」「Canvas」とリズムとリフはすばらしい曲が続いたものの,どこか落ち着いてしまったかのようだった昨年の赤い公園。今年は3か月続けてシングルをリリースするようで,どんな展開になるのか楽しみだ。

結成7年目に入るというこのバンドが鳴らす音の変遷を振り返ると,King CrimsonやP-MODELのみならず,多くのバンドは6,7年というのはまるで別のバンドに成り代わってしまうのに十分な年月だ。赤い公園はメンバーチェンジをせずによく続いていると思う。半世紀を生きた身にとっては,このところの6,7年はほとんど変化に乏しいものの。

本田靖春

ブックオフで20%オフのセールを開催しているというので覗いたものの,結局,本田靖春『警察回り』(新潮文庫)を買った以外,読みたい本が見当たらなかった。108円の棚以外も見たのだけれど。ブックオフでは以前に比べると,昭和の中間小説作家の文庫を目にすることが少なくなった。そんなことを考えながら思ったのは,文芸評論のニーズはさておき,まっとうな評論が一冊も出ていない小説家があまりに多いことだ。

本田靖春の『警察回り』は,単行本が出てすぐ購入して読んだ。

1983年のことだったと思う。刊行されたばかりの『不当逮捕』を佐山一郎がFMホットラインでとりあげた,つまりは本田をインタビューして,それが面白かった。本を手にするきっかけはそんなものだ。『不当逮捕』を駅前の本屋でみつけた。『疵 ─花形敬とその時代』(文藝春秋)は『不当逮捕』の流れで読んだものの,少し文章が甘いように感じた。その後,『警察回り』が刊行されるまで少し時間が空いた。本田はこの間,時事評論のようなエッセイを書くことが多くなり,それらを追いながら読んでいった。後に吉田司が登場するまでの短い期間,宗旨は異なれども,本田が世の中を見る眼のいい意味でのずらしかたは面白かった。矢作俊彦を正面に据えて,本田や吉田,もう少し後の佐藤亜紀や山口泉などのエッセイには,私にとって共通する匂いがあった。

平成に入ってからこっち,『いまの世の中どうなってるの』にあまり冴えがなかったこともあり,リアルタイムで本田の本を探すことはなくなった。ときどき古本屋で文庫本を見つけ,読んでいなかった作品を確認するくらいだ。体調がよくないという記事を雑誌で目にしてからしばらく後,新聞に訃報が載った。

少し前に『我、拗ね者として生涯を閉ず』上下巻がブックオフで105円棚に入っているのを見つけた。読み始めたら,これが面白かった。ただ,読んでいる間,『警察回り』の記憶が蘇ることはなかった。昨日から文庫を捲りながら,ようやく『我、拗ね者として生涯を閉ず』と重複する箇所がかなりあることに気づいた。どちらも面白いものの,やはり文章が甘い。後者に関しては自分で書くことができなくなり,後半は口述筆記だったと思う。そのことを差し引いてもなお。

高校時代に,テレビドラマ「いろはの“い”」から遡って島田一男の「事件記者」シリーズを読み飛ばしたときに感じた解放感と,たぶん本田靖春が描く昭和30年代の新聞記者像が重なったに違いない。今回,『警察回り』を読みながら,島田一男の小説を何度も思い出した。感じたのは解放感であって,決して正義感ではない。

ただ,『私戦』『誘拐』,そして『不当逮捕』あたりの本田靖春にしか書けないノンフィクションは,そうした解放感の匂いとはまったく別の意味で面白かった。

講談社の「本」で後藤正治が連載している「拗ね者たらん 本田靖春 人と作品」がまとまると,新しい本田靖春像がみられるかもしれない。刊行から数年を経たKAWADE夢ムック「本田靖春」をまだ手に入れていないというのに,何だかに,これじゃ“にわか”な感じだな。

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