枚方

休日に朝から大阪まで販売出張。7時過ぎに家を出て,事務所で荷物をカートに乗せて駅まで。高田馬場経由で品川まで行く。嫌な予感は的中というか当然のように,この時間から旅行客で品川駅は大混雑。だいたい構内で朝食をとってから新幹線に乗るのだけれど,早めに出たほうが無難だと思い,寄り道せずに改札をくぐる。

幸い自由席にまだ余裕があったものの車内販売がなかなかやってこない。浜松を過ぎたあたりでモーニングを頼む。先にホットコーヒーだけもらい,少ししてからサンドイッチをもってきた。車中,ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引書』(講談社文庫)を読む。しばらく前に古本屋で買ったままにしていたのを鞄にいれてきた。車中,釣銭を忘れてきたことを思い出す。

新大阪から地下鉄に乗り換え,さらに京阪電車へ。淀屋橋の改札手前にATMがあったので札は確保した。あとは100円玉をこまめにためる必要がある。枚方市で降りた。

中学時代,枚方だったかな,豊中だったかからの転校生がいた。親戚が豊中にいて,枚方パークにも何度か連れていかれたので,少しだけ他の同級生より土地勘があった。彼が懐かしそうに大阪の話をしたことを思い出す。ただ,土地勘はほんの少しだったので,話しながらなんだか始終,すまない感じを覚えた。

駅前で飲み物と付箋を別々に買い,20枚くらいの100円玉を確保した。そのまま会場に着いたのは12時前。挨拶をしてセッティングしたものの,13時から会が始まるまで,受付優先で本を買おうとする人はほとんどいない。もちろん会が始まってからは受付にも人がいなくなる。3,000円ほどが売れただけだ。赤字かなあとあきらめ気分で会場を覘く。16時の閉会間際,だいたいは慌ただしく帰ってしまう参加者多いのだけれど,アナウンスしてくださったおかげで本は売れていき,30,000円を超えるくらいが手元に残った。交通費を差し引いても足が出ないで済んだ。

昼食をとっていないので,駅のあたりで店を探す。が,結局,王将に入り,焼きそば定食と生ビール,味噌ホルモンを注文した。関西の人間ではないので,焼きそばやお好み焼きをメインにごはんを食べる習慣はない。どんなものだろうと思ったら,焼きそばの上にプレーンオムレツというか卵焼きというかが乗っていてそのうえにケチャップがかかっている。オムレツとケチャップで一品だなあ。

さすがに頼みすぎたと思いながらなんとか食べ終わる。駅の一画にあるケーキ屋でお土産を買って帰る。行きも帰りの特急がすぐに来たので枚方と淀屋橋の間で停車するのは4駅だ。北浜の少し手前まできて,京橋で環状線と乗り換えられることに気づいた。わざわざ地下鉄に乗り換えなくても。北浜で降り,京橋まで戻り,環状線に乗り換える。大阪経由で新大阪まで行く。新幹線構内は無茶苦茶混雑していたものの,帰りも自由席でシートを確保できた。

疲れてしまい,うとうとし,ルシア・ベルリンの文庫本を捲りまたうとうと。21時過ぎに品川に着いた。

キャラバンサライ

このサイトのどこかに書いたことがある。書いたことをすべて記憶しているはずはなく,忘れたことを思い出すこともある。

再開発の名のもと,取り壊される新井薬師前駅南口の鄙びたビルの手前にも,だらだらと続くようにビルが並んでいる。もしかするとあの一画,つながっているのかもしれないものの,そんな感じで塀のようにビルは南口とその向こうの道を隔てる。

南口にすぐ近いビルの階段を登り右側にスナックが一軒あった。永岡君にまつわる話で,これははっきりと書いた記憶がある。彼は中学校時代の友人で,キングクリムゾンの『宮殿』と『リザード』を初めて聴いたのは彼の家でのことだった。入学して早々,図工の授業は神社で写生だった。彼は私のもっていた絵具を見て,「ウルトラマリンブルーだ」と執拗に繰り返す。妙な奴だなあと思ってから結局,3年間,仲がよかった。

進学してからすっかり会うことがなくなり,20代を折り返した頃のことだったと思う。10年ぶりくらいにはじめて同級会に出た。永岡君も出ていたのだろう。連絡先を交換し,もうひとりの友人と新宿で会ったときのことも書いた記憶がはっきりとある。そのあたりは端折って,要は新井薬師前駅南口のスナックでの記憶なのだから。

昌己と週末入っていたスタジオに永岡君が参加したのは数回だった。たぶん最初に入ったあとのことだと思う。どこか居酒屋で飲むか,という話になった。永岡君が「スナックないの」と聞いてきた。そんな中途半端な問われ方をしても答えようがない。スナックの用途がわからず,いきおい必要でもなく,入ったこともなかったわれわれに,あるかどうかさえ答えようがなかった。とりあえず駅前まで行き,見つけたのが入ったこともないそのスナックだった。

ドアを開けると,L字型のカウンターと奥の窓際にテーブル席が2つほどあるのが見えた。カウンターにはいかついおじさんがひとり座っていた。われわれは20代を折り返したばかりだったのだ。

その年のはじめ,われわれは高知の友人に誘われて,キャラバンサライという名のライブハウスで演奏をした。後にも先にも社会人になってからスタジオに入りはじめたバンドがライブを行なったのはそのとき1回だ。

いかついおじさんと二言三言,やりとりをせざるを得ない状況になったのだろう。「バンドをやっているのかい」「アマチュアですよ」「ライブも?」そんな感じだ。

で「この前,高知に行って,キャラバンサライというライブハウスで演奏してきました」と言った途端,いかついおじさんが「キャラバンサライで演奏ったのか。有名なライブハウスだよ」とママさん(というのか)に向かって言う。「イギリスじゃなくて,高知ですよ」「知ってるよ。高知出身なんだ」と話が転がってしまう。

この前,夕食のとき,文林堂書店が閉店した話をしていたところ,久しぶりにこのときのことを思い出した。たぶん,以前,ここまでのこと書いたように思う。

10/26

決算書類作成に必要なデータをチェックしていると,この間,かなりラフに進めてきたことを痛感する。修正,訂正のオンパレードだ。少なくとも,旧社から継続して使うことにしたシステムについては,仕切り直して伝票を打ち直しておいたほうがよさそうだ。

先週は新刊ができて,その手配と今週の見本の打ち合わせ,加えて決算数字の確認と修正に追われる。土曜日は夕方まで事務所で数字の確認を済ませた後,吉祥寺で家内と待ち合わせる。ブックオフに寄った後,コピスの喫茶店で休憩。夕飯用にお弁当を買って帰宅。

日曜日も朝から事務所で決算の数字確認。午後から浜田山のギャラリーを覘く。帰りに家内と新宿で待ち合わせる。買い物をして帰宅。少しあたたかい。

月曜日は本の見本が届く。午後から見本をもって武蔵浦和まで。事務所に戻り,明日の発送の準備。

火曜日は朝から加勢を得て,見本の発送。午前中に終わる。午後も発送作業。

続けて新刊が2冊出ると混乱してくる。あれ,手配済じゃないか,と思った指示書が先に刊行したもの用であったり。そんなのばかりだ。

Storesの注文が続いている。動く本は登録した者がいうことではないけれど,これが? めずらしい,と感じる本が少なくない。

10/19

寒くなってきた。昨年の今頃,新しく会社を立ち上げ,仕事をすることになったのだ。知らないことばかりで,それは今もあまり変わりはしない。

DMの作業をある程度済ませ,税理士に渡すデータのチェックなど進める。切手がかなり必要になるので,18時に家内と待ち合わせ,西新宿まで買い出しに行くことにした。夕方来客。入れ違いに家内が来たので西武新宿まで。電車賃を引いても十分におつりがでるくらいの安さで1シート購入。新しくなった小田急を覘く。デパートではないなあ。京王に移動して夕飯用にお弁当を調達する。西武新宿駅まで歩き帰宅。

島田一男の『昼なき男』を読み直す。第二次世界大戦後,大陸で捕虜になり,中ロの諜報機関からスパイの任を受け密航してきた主人公。戦後,7,8年の占領期間を経て帰国した祖国は,大陸で喧々されていた様子とは全く異なることに戦く主人公。この設定をもとに,新たに誰か小説を書かないだろうか。

10/18

午前中,税理士とWebで打ち合わせ。午後から刷りだしの確認。まあ,調整せずに出たものにOKを出すためなのだけれど。

他者の死をネタにして時間を潰すような所作をしたことは一度もないし,これからもするつもりはない。昨日,Youtubeで赤い公園が偶然流れて,2年前の10月18日のラジオ番組をコンプした動画が続いた。この2年,意図的に聞かないできたものが,ふとしたはずみでかかってしまった。

たぶん常にわたしのこころの片隅では「もーれつア太郎」が鳴っているのに違いない。生まれたときから聖人君主のまま年を重ねて人間に魅力などありはしないだろう。ただ,悪所がある場の魅力がこのところ極端に薄れてしまうなあと,津野米咲の声を聞きながら思う。

ネット上というかSNS上の,正論がまかり通る空間で,正論がまかり通らない場や言葉を発する人について想像する。郵便配達員のように,その場や人を見ようとしていないのではないかと戦く。

場違いな感じがなくなってしまうのは,ただただまずいだろう。

赤い公園とそのリーダーであった津野米咲に変わらず喪失感を覚えるのは,その場違いな感じからだと思うのだ。

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