ベシ

ここに越してきたとき,家にすぐそばに神田精養軒の工場があり,その先に赤塚不二夫が仕事場として用いていた小体なビルがあった。神田精養軒のビルは今世紀に入ってからしばらくして移転,取り壊され,赤塚不二夫の仕事場は今も建っている。このあたりの知人によると,銭湯に行くとしばしば赤塚不二夫に遭遇した時代があったようだ。

先輩のシゲさんが赤塚不二夫に事務所でアシスタントのアルバイトをしていたのは80年代の終わり頃だったはずだ。もともと,つげ義春好きで,ただ絵を描くとどこか坂口尚っぽさを感じるシゲさんのタッチは傍目にも赤塚不二夫の作風とマッチするようには思えなかった。背景がまわってくると赤塚さんは「シゲくんの絵は暗いんだから」と言い,修正がかかったと聞いたことがある。80年代後半の赤塚不二夫はマンガよりも本人に対するニーズのほうが圧倒的に高かった頃で,70年代に遠藤周作の「おばかさん」を描いたように,だれかの原作でマンガの連載を始めた頃だったか,そうではなく,ギャグマンガを再び書き始めた頃だったか記憶が定かではない。

シゲさんに赤塚不二夫のアシスタントは務まらなかったというか続かなかったようで,ときどき「不二夫ちゃんに言われちゃってさあ」などと愚痴っていたことを思い出す。

私よりも15年近く前,シゲさんは妙正寺川沿いを赤塚不二夫の仕事場まで通ったのだ。いや,私はアシスタントをしたわけではなく,近くに引っ越してきただけのことだったけれど。

少し前,その仕事場が解体されるので,全フロアを使ったイベントが始まるとの告知があった。最初の頃は様子見していたものの,再追加のチケットが発売されたとき,速攻で家内と二人分を確保した。

引っ越してきてから四半世紀近くを経て初めて入った赤塚不二夫の仕事場は,すっかりイベント用に飾りなおされていた。

私より少し年上のマンガ好きにとって,赤塚不二夫の作品から受けた衝撃はすさまじいものがあったと聞いたことがある。マンガ好きと称してふさわしい彼に好きなマンガを尋ねたところ,『レッツラゴン』と即答だった。それが不思議で,今も覚えている。

ここ数年,石森章太郎が20代までに描いたマンガを読み返していると,あちこちに赤塚不二夫との共通性を感じるようになった。石森のマンガに赤塚本人はしばしば登場するし,分業の跡についての検証が増えている。二人のマンガかの共通する側面と,にもかかわらず石森章太郎のマンガが語られるときにすっぽり抜け落ちているギャグマンガ家としての側面を,赤塚不二夫のマンガを通してあれこれ考える。

二人に共通するのはある種の暗さだ。みなもと太郎は石森マンガの暗さを指摘したけれど,赤塚不二夫の暗さもどこか共通する面があるように思う。

数多の展示物を眺め,奥村さんや唐沢なをきさんと思しき姿を横目にしながら,そんなことを考えた。

11/11

朝から商工会議所の面談予約を入れ,その後,来週の打ち合わせ,取材の予定を詰める。決算関係の資料のひとつを税理士に送る。夕方からStoresにアップする本を選び,少しきれいにしてから撮影。20冊くらい上げた。このところ動きがあるので点数をもう少し増やしてみようと思う。

偶然について。

武谷三男がいうところの「特権」と「人権」は,本人が口頭で述べる以外,まとまった文章がない(にもかかわらず1冊の本はあるのが不思議なところ)ので,どのように切り分けていたのかわからないものの,ものごとをみていくときに便利なとらえかただ。

フロイトが無意識に意味を与えてしまって以来,いくつもの学問領域で意味をもたない状態に意味を与えてしまう所作が続く。意味をもたせていくことと,無意味を無意味のままおいておくこととは別だと思うのだけれど,意味をもたせていく所作はどうも居心地が悪い。偶然を偶然のままにおいてなお面白く思われるものごとが少なくなっているように思う。

たぶん,おたくとは,偶然におかれたものに意味を与えるのではなく,そのままにおいて面白くとらえる視点に長けていたのではないだろうか。また,その所作をサブカルとくくり命名したのではないか。

月蝕

家内の仕事が遅くなる予定なので,帰りに夕飯を調達。18時くらいに事務所を出て山手通りを東中野まで歩く。ブックオフで本を購入し,頼んでおいたお弁当をとりに駅前の高架を渡ると手すりにずらっと人が立ち止まり東の空を見上げている。月蝕の時間だった。つられて見上げると蝕に入りかなり経った様子だ。アトレでコーヒー豆を買い,お弁当を受け取る。地下鉄で中井まで戻り,事務所にお弁当を置き,カメラを携えて通りに出た。

川にかかる橋の欄干でカメラを固定し撮影を試みたものの,あまりきれいには撮影できない。数枚撮影してあきらめる。事務所に戻り,荷物をとって帰宅。中井英夫の『月蝕領崩壊』を引っ張り出し,ついでにiPhone SEで撮影した。

月蝕は終り、月光は甦って、深沈とその廃墟を照らし出すだろう。

中井英夫『月蝕領崩壊』

4回目

午後から聖母病院まで新型コロナワクチン4回目の接種に行く。講堂に初めて入った。靖国通り沿いに設えた区の接種会場に比べると,段取りはスムーズ。久しぶりに,娘が通った小学校の方の道を歩いて事務所に戻る。あのあたりの落ち着いて,にもかかわらず暮らしが感じられる様子はホッとする。

事務所に戻ってから少しだけ仕事を済ませ,18時前に帰宅。1時間ちょっと眠る。

土曜日はだるいので昼過ぎまで起きたり眠ったり。ポール・ベンジャミンの『スクイズ・プレー』をようやく捲り始めた。買ってすぐに第1章を読み,あまり気乗りしなかったのでそのままにしておいたのだ。ぼーっとしながら読むには手ごろな話とはいえ,離婚した元妻と息子とのエピソードあたりからは70年代から80年代のネオ・ハードボイルド派のだめな感じが伝わってきてしまう。その後,落ち着いてきたので,夕方,髪を切りに行く。帰りに事務所で少し仕事。

日曜日もまだ調子がよくはない。昨日よりの腸の働きが悪い気がする。風邪薬を飲み,午後から事務所に。日帰り出張から戻ってたまった書類などを整理する。これは物理的に整理するということで,捨てたり場所を変えたり。発送物を少しつくり,宅配業者に取りにきてもらう。17時に家内と待ち合わせて高円寺まで買い物に出る。秋は終わったような感じの気温。

枚方

休日に朝から大阪まで販売出張。7時過ぎに家を出て,事務所で荷物をカートに乗せて駅まで。高田馬場経由で品川まで行く。嫌な予感は的中というか当然のように,この時間から旅行客で品川駅は大混雑。だいたい構内で朝食をとってから新幹線に乗るのだけれど,早めに出たほうが無難だと思い,寄り道せずに改札をくぐる。

幸い自由席にまだ余裕があったものの車内販売がなかなかやってこない。浜松を過ぎたあたりでモーニングを頼む。先にホットコーヒーだけもらい,少ししてからサンドイッチをもってきた。車中,ルシア・ベルリンの『掃除婦のための手引書』(講談社文庫)を読む。しばらく前に古本屋で買ったままにしていたのを鞄にいれてきた。車中,釣銭を忘れてきたことを思い出す。

新大阪から地下鉄に乗り換え,さらに京阪電車へ。淀屋橋の改札手前にATMがあったので札は確保した。あとは100円玉をこまめにためる必要がある。枚方市で降りた。

中学時代,枚方だったかな,豊中だったかからの転校生がいた。親戚が豊中にいて,枚方パークにも何度か連れていかれたので,少しだけ他の同級生より土地勘があった。彼が懐かしそうに大阪の話をしたことを思い出す。ただ,土地勘はほんの少しだったので,話しながらなんだか始終,すまない感じを覚えた。

駅前で飲み物と付箋を別々に買い,20枚くらいの100円玉を確保した。そのまま会場に着いたのは12時前。挨拶をしてセッティングしたものの,13時から会が始まるまで,受付優先で本を買おうとする人はほとんどいない。もちろん会が始まってからは受付にも人がいなくなる。3,000円ほどが売れただけだ。赤字かなあとあきらめ気分で会場を覘く。16時の閉会間際,だいたいは慌ただしく帰ってしまう参加者多いのだけれど,アナウンスしてくださったおかげで本は売れていき,30,000円を超えるくらいが手元に残った。交通費を差し引いても足が出ないで済んだ。

昼食をとっていないので,駅のあたりで店を探す。が,結局,王将に入り,焼きそば定食と生ビール,味噌ホルモンを注文した。関西の人間ではないので,焼きそばやお好み焼きをメインにごはんを食べる習慣はない。どんなものだろうと思ったら,焼きそばの上にプレーンオムレツというか卵焼きというかが乗っていてそのうえにケチャップがかかっている。オムレツとケチャップで一品だなあ。

さすがに頼みすぎたと思いながらなんとか食べ終わる。駅の一画にあるケーキ屋でお土産を買って帰る。行きも帰りの特急がすぐに来たので枚方と淀屋橋の間で停車するのは4駅だ。北浜の少し手前まできて,京橋で環状線と乗り換えられることに気づいた。わざわざ地下鉄に乗り換えなくても。北浜で降り,京橋まで戻り,環状線に乗り換える。大阪経由で新大阪まで行く。新幹線構内は無茶苦茶混雑していたものの,帰りも自由席でシートを確保できた。

疲れてしまい,うとうとし,ルシア・ベルリンの文庫本を捲りまたうとうと。21時過ぎに品川に着いた。

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