中目黒

気温が上がっていない。コートを着たまま,アルコール片手に川沿いを歩き,橋の上で写真を撮る人,人,人。

橋の上以外は,人が溜まらないから,流れについていくと,八の字に川沿いをぐるりと一回りしてしまう。桜は見事だけれど,初詣みたいなこの賑わいは少しおかしい。

昼食は遅かったものの,ここで取り損ねると,明日に響きそうだ。駅まで戻り,15,6年前を思い出しながら商店街を探す。あのときと同じ通りかどうかわからないものの,食事ができそうな店がいくつか入ったビルを見つけたので,夕飯を済ませた。女性向けにからだのことを考えてつくりました,と自己主張の激しい食堂だ。

帰りは恵比寿まで出て,山手線に乗った。

新井薬師と大泉学園にそれぞれ数年。あとは今,住んでいるところに15年以上。これまでの半分近くを西武線沿線で過ごしてきたので,東横線沿いの町はいまだ馴染まない。

中目黒

仕事で付き合いのあった放射線技師は家庭に入って後,ときどき野毛や中目黒で歌っていた。ようやく日常の連絡をメールでとるようになった頃のことだ。

中目黒にはそれまで用事がなかったので,彼女が歌うというカフェに上司とともに行ったのがはじめてだった。改札を出てすぐを左に折れる。数十メートル進み,交差する何本目かの通りを左に入ってすぐの店だ。バンドはアコースティックギターとベースにボーカルという編成。ボサノバとジャズが一緒になったような雰囲気で,リズムは打ち込みデータで鳴らしていた。シンディ・ローパーをカバーしたことは覚えている。店は女性向けのオーガニックというのかホリスティックといえばよいのか,全体,そんな感じだ。

ワンステージ聞いて,上司と一緒に店を出た。不動前のマンションに住む上司とは当然,すぐさま別れ,一人でぽつぽつと帰ってきた。自分のバンドは長い休止に入っていたので,何だか無性にスタジオに入りたくなった。

週末,五反田へ行った帰りに,家族と中目黒まで足を伸ばした。誤って山手線目黒駅で降りてしまったので,バスに乗る。途中,花見客の混雑で到着は遅れそうだと何度かアナウンスがあった。だから,駅前の停留所の一つ前で降りたほうが早いという運転手の案内に従った。

通りの向こう,ビル前の小さな広場ではフリーコンサートが行なわれているのだろう,その音があたりに響く。家内と娘を促しながらラッシュアワーの基幹駅のように行き交う人の間をすり抜け,横断歩道を渡った。桜の花があたりに爆ぜた。(つづきます)

50歳からの赤い公園

赤い公園の新譜「純情ランドセル」(このタイトルだけは他に案がなかったのかと思う)が出たので,手に入れた。子どもの受験が終わり一区切りついたリビングは野戦病院のような状態でここ数か月,片づけられない。CD一枚聴くにも,荷物を掻き分け,跨いでようやくプレーヤーにたどり着くという按配だ。一箱古本市から戻った本がそこに輪をかける。

そのCDを聴いたのは,だから購入してから一週間過ぎてのことだった。

武蔵小金井と国分寺の中間に徹が住んでいた頃,ほんやら洞を越えて(手前だったかもしれない)国分寺駅に行く途中にGOKサウンドはあったと記憶している。斜面をくりぬいた車庫があって,その前を通るたびに,ここでP-MODELの「カルカドル」(の多くの曲)が録音されたという記憶とつながるものだから,そこにはアウラがあった。

赤い公園の2枚のミニアルバムを聴いて,その面白さの何%かはGOKサウンドによるのだろうと思ったのは,2ndアルバムが出てしばらくしてのことだった。

もちろん曲自体,演奏センスは私たちのようなニュー・ウェイヴ世代の琴線に触れるものだったし,即興性をのぞけばライブ感も秀でている。

この3rdアルバムを聴いて,GOKサウンドで赤い公園はもう音を鳴らさないのだろうか,と思った。2ndよりも引き気味で,全体,バンド感とでもいうものが増しているからなおさら。

数日後,書店で「ワッツイン」休刊号をめくっていると赤い公園のインタビューが目に入った。これを読むと,新譜特設サイトのライナーノーツで述べられた「黄色い花」の意味合いが全然違ってしまう。

望月三起也

望月三起也の訃報。新しい才能が生まれるよりも,潰える才能のほうが多いことがさびしい。

マンガを手に取り始めたのは昭和50年代に入ったばかりの頃だった。「週刊少年キング」は「週刊少年サンデー」とともに手に取りづらい印象だった。石森章太郎が「ギルガメッシュ」を連載していることを知り,他に読むマンガが見当たらないので立ち読みしていた。単行本1巻の終わり,物語がおそろしく盛り上がるあたりで,ときどき購入するようになった。「ギルガメッシュ」が尻つぼみになっていくとは想像もせず。

「まんが道」や「銀河鉄道999」がはじまった。連載されていた他のマンガを読み始めたのは,たぶんそのあたりからだ。「ワイルド7」のページを捲るようになったのはたぶん「魔像の十字路」の連載からだと思う。

数か月で47巻が手元に揃った。「参考書を買う」と言って親から預かった金を古本屋で「ワイルド7」に替えてしまった。

「ワイルド7」は1巻から順番に揃えなくても支障がない。「地獄の神話」や「運命の七星」あたり,絵もキャラクターも安定した,背表紙が黄色でないストーリーから手を出した。高校に入り,同級生に「ワイルド7」ファンがいた。何が好きかという話になって「緑の墓」と言われたのを契機に,黄色にも手を出した。それで参考書は増えずに「ワイルド7」がすべて揃ってしまった。全編何度も読み返した。しかし,黄色本は「地獄の神話」以降に比べ,読み返すことは少なかった。

ぶ厚い48巻を手に入れたときの感触は覚えている。当時のマンガで一番の厚さ,長編としても一番。そんな印象を持った記憶とともに。

そこから「俺の新撰組」「優しい鷲JJ」「学園シャンプー」「四つ葉のマック」まで読んだ。「俺の新撰組」は後半になるにつれ,原田がほとんど飛葉のポジションに落ち着き,不思議な印象だったけれど,絵の恰好よさといい,これが望月三起也のピークだったような気がする。

「新ワイルド7」「続・新ワイルド7」は徳間書店から増刊号のような体裁で刊行された。去年,親のマンションを処分するまで,全部手元に残っていたのだけれど,ぶんか社の文庫本で読めるからあまり残念ではない。このあたりになると,だんだんしかけは大きくなるものの,白と黒のコントラストで見せるような絵ではなくなってしまった。

昨年,本屋を何軒かまわって『ワイルド7R』の第2巻を買って読んだ。京都から横浜へと舞台が移り,前半はそれでも第1巻と同じくらいの手ごたえだった。後半,カラー原稿なのだろうか途端に画面に力がなくなった。それが残念だった。

「俺の新撰組」は完結しなかったけれど,それは結果にすぎない。「完結したい」という張り合いが,望月三起也になにがしかの影響を与えたと思うのだ。マンガにつながっても,つながらなくても,それはどうでもいい。

 

花粉症の時期になると,対症薬を飲み,非道くなると週一回の注射が加わる。7,8年前,何の前兆もなく花粉症になったのだ。

他の病気に比べて花粉症は,対症薬が数多くあるため,個別の薬がからだと感情に及ぼす感覚はとてもよくわかる。飲むと症状が緩和されるかわりに頭痛を及ぼすもの。対症効果がほとんどないもの。眠気のせいで仕事が手につかないもの。喉がかわくもの。本当にさまざまだ。

エピナスチンを処方されるようになってかなり長くなる。全体,症状は緩和され,頭痛は起きない。喉はかわかない。悪くないのだけれど,とくかく見る夢がよくない。週に5日は嫌な夢が続く。たぶん,薬の成分のなにかが夢に何がしかの刺激を与え,それが意味・文脈に影響するのだと思う。しかし,だからといって,夢の内容を左右するのがそうした化学物質だとだけは思いたくない。それは,他者を支配しようとするものの思考だ。

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