中野ZEROホール

先日,子どもの発表会のため,久しぶりに中野ZEROホールへ行った。前回はP-MODELのライブだった。だったといっても1987年のこと。あのとき聞いた“FLOOR”~“POTPOURRI (ポプリ)”~「いまわし電話」は,これまで体験したライブのなかで,譬えようがない音圧だった。

次点は,1990年(89年か?)『亀盤』を出した後の渋谷クアトロでのあぶらだこの「焦げた雲」。95年(これも不確か),彩の国で体験したスティーブ・ライヒの「18ミュージシャンズ」。いずれも甲乙つけがたい。

その日を境に荒木が引退(うわさには,新潟で石油掘りの跡継ぎのためと聞いたが,ホントだろうか)。以後,読売ホールでの鼓笛隊,野音でのシャレP-MODELまで,それから今日まで,あの筆舌に尽くしがたいドラミングを我々は失ってしまった。

86年から87年2月までの1年あまり,P-MODELは,another P-MODELといってもよいほど音の感触がそれまでとは違った。音の固まりのなかで,「サンパリーツ」のバスドラ,“KARKADOR”のハイハット,それらはひとつの要素かもしれないが,あまりにも大きな要素だった。

あの日,「サラウンド」と称して,耳をつんざく甲高い音が渦巻いたが,何と,今回も同じように割れた高音が鳴った。あれは,ホールの特色だったのだろうか。

コトナについて

コトナという言葉を〈発見〉したのは,かれこれ20年近く前。

いい年して,ガキのようなばか騒ぎに明け暮れていたころ,一握りの含羞を込めてこども+おとな→コトナとした。なさけない発音が,当時自分たちにぴったりで,ジャーゴンとして内輪では流行したが,広まりはしなかった。

10年ほどたって,(意味はまったく違うが)アダルトチルドレンなる言葉が登場したとき「訳すとコトナじゃないか」と,頷き合った。

それから今日まで,仲間以外から「コトナ」という言葉を聞いた経験はない。

「GOES ON GHOST その2」
最後にライブで聞いたのは,1988年10月のロフト2days2日目。セッティング・リストからすると,「サンパリーツ」の代わりだったと思う。

15年近くもたったとは。

GOES ON GHOST

木田元と竹内敏晴の対談集『待つしかない,か。』(春風社)を読み終えた。竹内氏の口から「『ほんとうに求めるもの』に気づけるか,出会えるか」(p.115)とあったことに驚く。そこを捨てるところからはじまっていたと思っていただけに。

読みやすく,氏の考えが整理された1冊だと思う。アクションについての考え方は,まるでロバート・フリップだった。

タイトルは後期ハイデガー思想を支えていた考え方から。“POTPOURRI(ポプリ)”にはじまり“ANOTHER GAME”まで続く立ち位置と共通するように感じた。

“GOES ON GHOST”と“FROZEN BEACH”の断絶,というか「オハヨウ」への回帰が抱え込んだものは何だったのだろう。

今,戦争を問うなら,“LOVE SONG”を投棄するのではなく,“GOES ON GHOST”もしくは“POTPOURRI(ポプリ)”ではないかとも感じるのだが。

HEAVEN

P-MODELの4thアルバム“Perspective”は,発売から4年後に聞いた。すでにレコードショップの店頭から消えており,再発されたのは,それから1年後のこと。

当時,アルバイトしていた病院で,入院していた女の子から借りた。なんで病棟でP-MODELの話になったのかは覚えていない。

代わりに“SCUBA”を貸したのだが,後に,彼女ではなく,弟がP-MODELファンだと知った。

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