矢作俊彦 因果律ランダムハウス

サーバー移転とは,ブログだけではなく,サイト全体を移すことだから,一通りのデータをバックアップした。

すっかり忘れていたのだけれど,“矢作俊彦 因果律ランダムハウス”というページをつくったのは2003年のことだったようだ。そうクレジットされていた。

この10数年間,タグを打ってサイトを構築する努力をひたすら怠ってきた。無料で配布されているcssを少し加工しては使い,Wordpressに移行してからはテーマを選ぶだけでサイトをつくった。

2003年につくったそのページは,だから無料配布されていたcssを少し加工しただけのものだった。何度かデザインを変えた,つまりcssを変えたものの,ページを追加するのが面倒だったので,思い出したときに情報を加えるくらいで,あまり手をかけてこなかった。

1つのWordpressで複数のサイトがつくれる機能はあっても,それを試してみようとも思わなかった。

新しいサーバーをチェックしていたところ,Wordpressを“複数”立ち上げることができるようだ。それなら新しいことをほとんど覚えなくても何とかなりそうだ。

“Localcolor”の本サイト,“矢作俊彦因果律ランダムハウス”などすべてをWordpressに移行する準備は,不測の事態に陥らなければ,5月に更新予定で,ダミーのアドレスで準備をすすめている。

というわけで,試行期間中の“矢作俊彦 因果律ランダムハウス”をチェックしてもよいという殊勝な方がいたら,コメント欄(非表示にします)にメールアドレスを貼り付けてください。アドレスをお送りしますので,確認よろしくお願いします。

ジャガー

そのころ,関東圏のライブハウスというライブハウス,音楽系の雑誌という雑誌では,ふたり以上の人が顔をあわせさえすれば,まるでお天気のあいさつでもするように,ジャガーのうわさをしていた。

ジャガーというのは,毎日毎日彼らの空想を膨らませる,成金ロックミュージシャンだ。ジャガーはいくつもの店を経営し,自ら稼いだ金の力で自分の(曲の)プロモーションをし,ライブをするために自分でライブハウスをつくってしまったという。

ジャガーのほんとうの年はいくつで,どんな顔をしているかというと,それは誰ひとりみたことがない。にもかかわらず,ライブハウスがあるのは本八幡で,ライブハウスの上は裁縫店になっていることを皆,知っている。まるでゴレンジャーのカレーハウスみたいだ,あれは遠藤ミチロウじゃないか,噂なのかほんとうなのかわからない話が伝播していた。

総武線本八幡駅から少し東京寄りを江戸川に向かって南北に貫く道路がある。国道14号を右折し,線路を越えて江戸川のほうに少し下った右側に,蔦の絡まるあやしい洋館風建物はあった。そこにはジャガーカフェというライブハウスが併設されていて,自転車でその脇を通ると,「本日の出演ミュージシャン」が見えた。

大槻ケンヂの文章でジャガーのことを読んだ記憶があるし,ルート14でゼルダがライブをしたときのMCでもジャガーが話題になったように気がする。

曲自体はすっかり覚えていないけれど,「だまってジャガーについてこい!」は「ほたてのロックンロール」みたいな曲だった。

われわれにとって,ジャガーの何が衝撃的だったかというと,「成金」と「ロック」が続くそのことに尽きると思う。誰もが「千葉の成金ロッカー(ミュージシャン)」と枕詞をつけるのだ。

北口の山本書店にはときどき行くものの,南口まで出向いたのは四半世紀ぶりかもしれない。先日,仕事の関係で本八幡の南口へと出かけた。ジャガーカフェは閉めてしまったようだったけれど,あの蔦の絡まる洋館風建物は健在だった。

ジャガー

昭和の終わり頃,父親の転勤が決まったので実家は江戸川区に引っ越した。

以前,書いた記憶があるけれど,その数年前,加藤和彦の公開FM番組録音コンサート(長いったらありゃしないな)に行くため,小岩に住む友人宅を訪ねたときが江戸川区に足を踏み入れた最初だった筈。総武線は秋葉原を過ぎると,真っ当そうな他人が一駅ごとに降りてしまい,残るのは西部劇が似つかわしいかなりアグレッシブな他人ばかりになっていったことを思い出す。国電小岩駅に降り,北口から10分ほど歩いたそこは,まるで松本零士のマンガに出てくるかのようなアパートだった。

引っ越してみると,江戸川区は平坦で,国道4号線沿いの街並みを全体に敷き詰めたかのようだった。ケミカル風味の風が吹き抜け,鼻につく。万博の頃の川崎のような感じがした。

近くに江戸川が流れているのがせめてもの救いだったけれど,その土手に土筆や蓮華草は見当たらない。理由がなければ,みずから選んで住もうとは思わない町だ。残念なことに,そのときまで私は,自分で選んだ町に住んだことはなかった。

自転車で川沿いの土手を遡っていったことがある。堤防と橋を渡ると,いつの間にか本八幡に着いてしまった。免許をとって何年か経ていたにもかかわらず,伸浩の車を運転することはあっても,父親の車を運転した記憶はない。江戸川区をバスや自転車で移動していた。江戸川区の奥行きのない広さを,だから私はペダルの重さで実感した。

本八幡にはその頃,小体で品揃えのよい古本屋が南口にあった。付近のようすは高円寺南口を線路沿いに阿佐ヶ谷方面へとしばらく進み左に折れ,古着屋が数軒あったあたりの感じにどこか似ていた。千葉の成金ロッカー・ジャガーの話にはなかなか至らない。(つづきます)

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