ホテルニューハンプシャー

その日,自転車で駅まで本を買いに行ったのだと思う。探していた本がなかったからかどうか記憶にない。そのまま切符を買い,地下鉄日比谷線と相互乗り入れしているその私鉄に乗った。着いたのは渋谷だったのだから,どこかで乗り換えたのだろうけれど,もちろん覚えていない。

シネマライズ渋谷がオープンしてからあまり時間は経っていなかった。「ホテルニューハンプシャー」を観ようと思ったのだ。

「告発の行方」が公開されるまで,ジョディ・フォスターは不思議な魅力的を携えていた。智恵をもった動物のような感じがしたものだ。しかし,それは決して人間ではない。

「白い家の少女」「ダウンタウン物語」「タクシードライバー」の頃からそうした感じを受けたはしたが,「フォクシーレディ」までは,実のところそれほど危険な香りを感じなかった。

ところが「スヴェンガリ」あたりで妙な違和感を覚えるようになった途端,「シエスタ」「君といた夏」まで,その奇妙な魅力は続いた。

「告発の行方」を観たとき,あの気配が失せていたことに驚いた。その後も「羊たちの沈黙」のクラリス役はすばらしかったけれど,「ホテルニューハンプシャー」の頃のジョディフォスターが抱え込んでいたこの世でないもののような佇まいはなくなってしまった。

SNS

絲山秋子のデビュー作について,10年以上前に自分のサイトで触れていたあたりから,たぶん記憶がサイト内の現実に追いついたのかもしれない。

書き連ねたものを遡って読んでみると,いまや記憶の表層には残っていない学生時代のエピソードがいくつもあった。書いていてよかったと思うのは,そんなときくらいだ。

昔のことを書くには時間が経ちすぎて,今のことを書くにはSNSを使ったほうが手っ取り早い。

更新のタイミングは空いていってしまうだろうけれど,今年も少しずつ書き留めていこう。

絲山秋子

お湯割りをおかわりした。ああ,夜だなあ,と思う。遠くで眠りそびれた犬があくびをし,いくつもの電灯が消え,本が閉じられ,給湯器が低く唸っているだろう。私はこの店に夜を買いに来るのだ。真っ暗で静かで狭い夜一丁。 絲山秋子:勤労感謝の日

……僕がする話って、みんな過去のことやねん。会社やめてから、時間がたてばたつ程な、ほんまに自分が生きてるんか、て思うことあるわ」 「経験だけが生きている証拠ではなかろう。お前さんが過去にしか生きていないと言うのなら、それは未来に対する冒瀆というものだ」
絲山秋子:海の仙人

サイトをつくり書き始めた日記の初めの頃,絲山秋子のデビュー作「イッツ・オンリー・トーク」について記した記録が残っている。当時,矢作俊彦が不定期で「ららら科學の子」を連載していたので「文學界」を(掲載号は)買っていたのだ。新人賞かなにかの告知でそのタイトルを目にしたとき,絲山秋子という作家についての情報は何一つ持ち合わせていなかったけれど,キング・クリムゾンの曲がどのように用いられているかだけに関心があった。

最終章が「クリムゾン」で,ロバート・フリップのみならずエイドリアン・ブリューの名前まで登場するその小説に,だから小説としての関心はあまりなかったことを思い出す。

その後,新作が出るたびにある程度,読んでいたものの,たぶん「下戸の超然」があまりにも面白かったため,その反動のようなもので,すっかり新作を追うことがなくなった。

ツイッターがきっかけで,12月に入ってから「イッツ・オンリー・トーク」から順番に読み返した。小説の上手さは当代随一どころか,日本文学の歴史のなかでも有数なことを感じるよりも前に,いや,まったく面白かった。引用したくなってしまうフレーズが散りばめられた物語がとにかく面白い。絲山秋子の小説ってこんなに面白かっただろうかというくらい。

昨日,『薄情』を手に入れた。

掟上今日子の備忘録

日本テレビに何の思い入れもない。放送業界の末端で仕事をしていた20代のなかば,赤坂や六本木に出入りすることはあっても麹町へはFM東京絡みで行った記憶しかない。麹町で覚えているのはFM東京のエレベータのなかで“ミーハー”をリリースする前の森高千里と一緒になったことくらいだ。オーバーナイト何とかという曲をタム叩きながら歌っていた頃で,全身真っ黒,遅れてきたゼルダのような格好をしていた。

土曜日夜21時台のドラマを見るようになったきっかけは木皿泉の脚本だった。

見たものもあれば見なかったものもあるなか,この枠のドラマをひとくくりにしてしまうことは躊躇われるけれど,“いかに人を信じうるか”が通底したテーマだととらえられなくもない。

先週終わった「掟上今日子の備忘録」は,「野ブタ。をプロデュース」以降で,もっともストレート? 巧みに“いかに人を信じうるか”を描き出していて,最終回まで欠かさず一家で見てしまった。

それは一回寝るごとに記憶がリセットされてしまう探偵と彼女と事件をめぐる人々の話だ。ラノベも美少女ゲームも読んだことがないので,東浩紀の新書を通しての知識しか持ち合わせていないものの,リセットという手法はそれらで頻繁に用いられてきたという。このドラマの原作は,リセットを逆手にとって推理小説に仕立てた。世界がリセットされるのではなく,探偵の記憶だけがリセットされるのだから。

「野ブタ。をプロデュース」が最終話でバディもののルーティンに集約せざるを得なかったのに対し,このドラマは9話でこの物語の柱の1つであるミステリーをメタ構造に置き換えて放棄,最終話で“いかに人を信じうるか”を前面に押し出したラブストーリーに換骨奪胎させてしまうのだ。

30年くらい前,「うちの子にかぎって…」のスペシャル2で,似たようなことがあったのだけれど,あれよりもインパクトは大きいし,何よりも物語が面白い。

 

King Crimson

初めてキング・クリムゾンのライブをみたのは1981年12月7日9日(訂正。9日のチケットが出てきた。それにしてもどうして7日と思い込んでいたのだろう),渋谷公会堂だった。34年前の今日のこと。当時は北村昌士が書いた本にはまっていて,目の前のバンドのまったく違う印象が面白かった。それが恰好よかった。渋谷公会堂に着くまえに,御茶ノ水のキニーに寄りブートレックを手に入れたので,セットリストは把握していたけれど,全体にメタリックな響きが新鮮だった。

1984年4月のライブは,五反田のゆうぽうとで前から3列目で見た。アンコールの“ディシプリン”で総立ちになったのは時代のせいだろう。当時,矢作俊彦の「神様のピンチヒッター」をパクッた小説を書いたことがある。それは精神病院に入院した彼女を殺しに行く学生の話で,主人公はこの日,五反田でフリップを見た帰りに地下鉄で精神病院へ出かける。もちろん,完成しなかったのだけれど。

1995年のライブも見に出かけたし,2000年のミレニアムクリムゾンは渋谷公会堂で見たはずだ。ただ,このときのライブで初めてテクノロジーに追われている感じを受けた。たとえばそれは“フラクチャード”のフェイドインをフットペダルやボリュームコントロールではなくて,PAでレバー操作しているように聴こえてきたり(実際どうだったのかわからないけれど),もちろんそれは理由にもならないけれど,何だか気持ちが離れてしまった。2003年のライブには出かけなかった。

今回のライブは,初めてフリップがレイドバックしたかのような先入観が強く,初手から出かける予定はなかった。それが週末,ネットをながめていると定価より安く,それも前から2列目のチケットが目にとまり,即決で購入してしまった次第。

そんなわけで,北村昌士本とともに,私も初めてレイドバックした気分を携えてオーチャードホールに出かけた。何か新しい音を聞こうとは思うことなく。

あらさがしをすればいくつか挙げることはできる。“エピタフのボーカルメロディをきちんと把握していない,ギターのジャラーンのタイミングを外し,止まってしまうんじゃないかと思ったジャッコの不安定さとか,“宮殿”で1969年のライブのようにメロトロンの裏に無理矢理ギターソロをぶち込むような攻撃的な演奏がみられなかったフリップ,もう少し曲に合ったスネアのチューニングをしてほしかったギャヴィン・ハリソン,“太陽と戦慄パート2”でリフのタイミングをとちったフリップの苦笑いが見られたのは何だかホッとした。“スターレス”の後半のジャコのギターが不安定で編曲したのかと思ったり,そりゃ30年以上,数え切れないほど聞いた曲を,ほとんどアレンジ変えずに演奏されると気になるところが出てくるのは仕方ない。にもかかわらず素敵なライブと感じたのは結局,フリップはミレニアムクリムゾンの落とし前をつけたかったのだなあと思ったからだ。そして見事に落とし前をつけていた印象を受けた。

だから,そのために“スキッツォイドマン”“エピタフ”“宮殿”“冷たい街の情景”“平和-終章”“レターズ”“LTIAパート1”“イージーマネー”“トーキングドラム”“LTIAパート2”“スターレス”といった曲が召還されたのだとしたら,それはよろこばしいことなのだろうと思う。
およそ30年間4回見たクリムゾンのライブのなかで今日演奏された曲は4曲くらい。たぶん,フリップがギターを弾く姿を見るのは最後なのだろうなと,やたら感傷的な気分で帰ってきた。

見渡すと,観客は平均年齢50歳・男性率9割越え。ステージ上からメンバーが目にした光景を想像すると笑ってしまいそうになった。

それにしてもキング・クリムゾンとThe Pop Groupの来日とが被っているなんて,今日が34年前であっても不思議ではない気分だ。

セットリスト

  1. Larks’ Tongues In Aspic Part I
  2. Pictures Of A City
  3. Epitaph
  4. Radical Action (To Unseat The Hold Of Monkey Mind) I
  5. Meltdown
  6. Radical Action (To Unseat The Hold Of Monkey Mind) II
  7. Level Five
  8. Peace – An Ending
  9. Hell Hounds Of Krim
  10. The ConstruKction Of Light
  11. The Letters
  12. Banshee Legs Bell Hassle
  13. Easy Money
  14. The Talking Drum
  15. Larks’ Tongues In Aspic Part II
  16. Starless
  17. Devil Dogs Of Tessellation Row
  18. In The Court Of The Crimson King
  19. 21st Century Schizoid Man
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