刺激と反射

その当時,流布されたうわさに「『テトリス』はソ連の軍隊で人を殺すための教育の1つとして開発されたもの」というものがある。「当然,事実ではない」とWikiにさえ記されているけれど,うわさを目にしたときの感じは今も覚えている。

なんらかの判断が,刺激と反射に置き換わっていきかねない「場」に抵抗感をもってしまうのは,そこに何者かの意思が介在しうるからなのだろう。

徹が『洗脳の時代』(宇治芳雄)をもっていたので,借りて読んだことがある。80年代のなかばのことだ。内容はほとんど忘れてしまったものの,出だしのエピソードは覚えている。朝鮮戦争中,ソ連の捕虜になった米帰還兵の多くが共産主義を礼賛する原因を調査した結果,洗脳の事実が明るみに出たという,下手なホラー小説を遥かに越えた恐ろしさだった。面白いノンフィクションは大概,同じような怖さを持っている。

しばらくして友人がマルチ商法にはまり,数年後,会社の同僚が自己啓発セミナーに拉致された。まるで本のなかの出来事が目の前に現れたような感じだった。さらに少し後,高円寺の駅前ではオウム真理教とスポーツ平和党が舌戦する。そんなこんなに『洗脳の時代』がちらついた。とりあえず,私自身,それらに絡めとられることはなかった。

主体(あいまいな言葉であることはさておき)を,刺激と反射で「操作する」なんらかの意思――得てして善意に触発されたものとされるのだけれど,善悪の価値判断は関係あるまい。ましてやそれが河合隼雄いうところの“メサイヤ・コンプレックス”だとしたら,たちが悪いったらありゃしない――,人を操作するように働く考え方,しくみ,その他諸々,に対して抵抗感をもつのは,きっと80年代のはじめに『洗脳の時代』を読み,徹とあれこれをネタにして語ったからなのだろうと思う。

近況

主催の講演会を土曜日に終え,サンルートホテルから西武新宿駅北口まで歩く。新宿西口と小滝橋通りのブックオフへ寄った。いや,寄るために歩いたのだ。にもかかわらず,これはという本に遭遇することはなく,嵯峨谷に入り,そばとビールで休憩した。忙しくて昼食をとっていなかったのだ。本当にビールは150円だった。そばもうまい。今度は池袋で寄ってみようと思う。

ブックオフの品揃えが店舗によって,かなり違ってきている。これまではそれほど感じなかったのだけれど,私がタイミングを逃しているからだけでなく,初手から決まった範囲以外の本が並ぶことはない,と判断したほうがよいのではと思うくらい,店によってはまったく面白そうな本が引っかかってこない。

少しずつ本(「紙の」と加えなければならないのかもしれないが)が減ってきているのではないかと少し不安になる。古本なんて,もとから流通可能な冊数の上限は決まっているのだから,時間が経てばそれが減ってくるのは当然なのだけれど。

吉田司の再読に加え,村上龍の対談集を読み始め,昨日はウィリアム・アイリッシュの短編集を捲りはじめた。村上龍の対談集を読んでいると,この小説家に照らして矢作俊彦を読み解くと面白いのではないかと感じた。山崎浩一が村上春樹との対比で語った昔から,同じくチャンドラーに影響を受けている小説家として並んで語られることが多いのだけど,無理して村上春樹と矢作俊彦を対比する必要はないんじゃないだろうか。

ミステリマガジン

「ミステリマガジン」の最新号に矢作俊彦がエッセイを寄せているというので購入。ジョン・ル・カレのスマイリー3部作については,1980年代に権田萬治が矢作俊彦にインタビューした記事は面白く,記憶に残っている。ジョージ・スマイリーとフィリップ・マーローが異母兄弟であってもおかしくないというような内容だった。

今回のエッセイは久々に矢作俊彦の新しいエッセイが載るというので購入しただけで,同じく三好徹が寄稿していたけれど,さすがに三好徹の歳となると締まったところのない内容だった。少し前,通俗時代の江戸川乱歩に似た三好徹のスパイ小説は読むのが楽しかったのだけれど。

新書と読書会のテーマも合わせて買った。吉田司を読み直しているし,なんだかあれこれ手を出してしまう。

神保町

「散歩の達人」10月号「神田・神保町特集」の大衆中華のページを読みながら,思い出すのは,すずらん通りの中古楽器屋の隣にあった店だ。このサイトに何度か記したことがある,ラーメンにはキュウリが入ってい て,食べるたびに火傷した塩味の中華丼。いつも店主と喧嘩し辞めると連呼したフロアのおばさんは,いつの頃からか客に食べ終えた器を持ってこさせるようになった。それが嫌で足が遠のいたことも以前,記したと思う。

「今日でおばさん,最後だけど」

その場にいったい何度居合わせたことだろう。にもかかわらず,しばらくして暖簾をくぐると,結局,見慣れたおばさんがいる。初めてすずらん通りに足を踏み入れた1975年から10数年はいたんじゃないだろうか,あのおばさん。

結局,おばさんが辞めるより先に店が畳まれた。というと語弊があるけれど,つまりは地上げを食らったような店のしまいかただった。だからそれは,ちょうど町の様子が変わり始めた頃のことだ。1階と地下だけで,十分時間が潰せるくらい書泉グランデが面白かった当時で,暇になると神保町に足を運んだのは昭和60年代の終わりまでだった。

平成の始めに,神保町界隈が非道いことになり,その後,ますます非道いことになった。東京堂書店が一人,気を吐いていた頃だ。それも続くことがなく,非道い町の様子が風景に溶け込んできたのは,ようやくここ10年くらいだと思う。

最近,ときどき神保町に出かけるものの,書泉グランデの棚の非道さばかりか,三省堂,東京堂書店にも入ろうとは思えなくなって久しい。古本屋を何軒かのぞき,白山通りのあたりを冷やかして帰ってしまうのがせいいっぱい。どうにも按配がちがうのだ。

みちくさ市

9月20日の雑司ヶ谷・みちくさ市に出店。路上はすごいなあというのが感想。八切止夫からサインをもらったことがあるという方や,金井南龍の本を読んだことがあって『神々の黙示録』は読んだことがなかったので買います,とおっしゃる方。あたりまえに,そのような方が歩いている。いや,すごい。楽しい。

松下竜一ミニフェアは,『豆腐屋の四季』ばかりか辻潤,上野英信の本も購入いただく。八切止夫ミニフェアも,ピクリとも動かないのではとの予想に反した結果で,全体,これまで参加したなかで一番,売上額が高かった。

昨年はじめてみちくさ市に参加したときのお隣は,斯界の巨星・レインボーブックスさん。一箱市の感覚を,手取り足取り教えていただいた。

その後は,メロンパン屋の横で一人,店を張ってきたものの,今回は申込みを開始15分前に帰宅途中の山手線で思い出し,事務所に戻っていては 間に合わない。慣れないスマホで申込みを何とか済ませた。できるだけ文字数を減らそうと,だから場所を指定しなかった。

今回はメロンパン屋の隣で,シックスセンスさんとご一緒。
ご挨拶をし,準備されているのをふと見ると,下敷きマットがワールドハピネスの福助とおそ松君。福助といえば,あのスペシャルゲスト・台風11号だったフェスじゃないか。そこから話が音楽のほうに。平成生まれとお若いのに矢野顕子,YMOファンって,類が共を呼んだということか? 琴線にふれるところがあるというのだから,なんだか凄い。ワールドハピネスの参加者の平均年齢は40~50歳代と踏んでいたのけれど,16時頃,店じまいをしているときに通った若い子の「あっ,ワールドハピネスのシート」という呟きを聴いた記憶も。みちくさ市とワールドハピネスの親和性を感じた回でもあった。

午後に入ってから,「小さく音楽流していいですか」ときちんと挨拶いただき,流れてきたのははっぴいえんどにYMO。「浮気なぼくら」が戸外に似合うとは思ってもみなかった。

で,たぶんこの曲もかけていたはず。今回の楽しかった記憶をぐるりとたばねてくれた一曲。次回は原田郁子バージョンで,ぜひ。

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