他人事とは思えない

狭い店内に客は一人きりだ。にもかかわらず人いきれが充満している。初老の夫婦がわが家とばかりにそこらを闊歩しているからだ。よく見ると,昔,総武線快速に乗るとよく見かけたような荷物の山が入口近くに重ねてある。店主の親御さんらしい。オーダーをとるのがその老夫婦なものだから,なんだか他人の家で食事をとるかのような雰囲気だ。

加えて,老夫婦はおよそ客商売に慣れていないことは否が応にも伝わる。にもかかわらず,素人が客商売と聞いてイメージする所作を慣れないなかでとりつくろうものだから,おしつけがましいったらありゃしない。

もともとここの店主も似たような対応で,みずから墓穴を掘っていたのだから,これは遺伝なのだろうか。

ミックスフライ定食を頼み,待っている間も,母親が息子の部屋を片づけているかのような言葉が飛び交う。「汚れているところを先に拭いといて,あとから洗うんだよ」「お皿をこんなふうに並べたらだめだよ」「お父さん,そうじゃないって」。

何だか自分が親に言われいるように感じてきた。

ミックスフライは,牡蠣と白身魚,コロッケが盛られたもので,キャベツの切り方が素人っぽい学食の定食という感じ。全体,この店の料理はそんな具合なのだ。

牡蠣フライを口にいれて,生まれてはじめて,拙いと感じた。もしかしたらあたるかもと危惧した。それでも火はそれなりにとおっているし3個だからと食べた。

ところが翌朝のこと。危惧はあたった。嘔吐と下痢が続く。ノロウイルスに罹ったようだ。24時間,食事をとらずに,身のおきどころのないつらさとともにこの週末を過ごすはめになった。

リンゴォ・キッドの休日

中篇「リンゴォ・キッドの休日」は,以下のような流れでわれわれの前に現れた。

  • 初出「ミステリ・マガジン」1976年12月号~1977年1月号
  • 単行本,早川書房,1978年7月(Fû-Meiの献辞付き/横木安良夫による著者近影。後の「スタジオ・ボイス」における横木のインタビューに,この撮影について触れたくだりがある)
  • 文庫本1,早川文庫,1987年11月(英文タイトル:Ringo Kid’s Holiday/解説:菅野國彦による矢作俊彦インタビューと思しき原稿を解説「煩雑な殺人芸術/シスコ・マイオラノス」として付記)
  • 文庫本2,新潮文庫,1991年12月(英文タイトル:Long time no see, Ringo Kid/表紙イラストは矢作俊彦)
  • 文庫本3,角川文庫,2005年5月(Fû-Meiの献辞付き/英文タイトル:Long time no see Ringo Kid/池上冬樹による解説)

また,単行本刊行時に,FM東京「音の本棚」で1978年7月31日~8月4日にわたる放送のほか,「七人の刑事」の第17回(1978年8月25日放送)に「サマー・ガール」のタイトルで原作として用いられるなど,メディアミックスにより展開されている。

いずれの書籍にも

警官にさようならを言う方法は
未だに発見されていない
――レイモンド・チャンドラー

のエピグラフが付されている。

雑誌掲載から単行本化・文庫本化の際に加筆・修正されたおもな箇所は以下の通り(注釈ないものは「雑誌掲載時」から「単行本化」の際の修正。随時更新予定)。

  1. Chapter2で二村が読んでいる新聞が「報知新聞」から「日刊スポーツ」に変更[1] … Continue reading
  2. 二村の現場でのキャリアが「三年」から「六年」に変更。
  3. 公安部と刑事部の確執に関する記述の加筆。
  4. 後の文庫(角川文庫)化の際,「カプチーノ」を「エスプレッソ」に変更。
  5. 後の文庫(新潮文庫)化の際,週刊タイムスの記者の名を「梨元」を「有元」に変更。角川文庫版では「梨元」に戻される。
  6. ワーゲンが沈んでいた突堤の先端からの距離が「十五メートル」から「二十メートル」に変更。
  7. 港に入ったアメリカ空母の水平が溺れ死んだ場所が「葉山」から「観音崎」に変更。

このようにまったく同じ判は存在しない。特に最新の角川文庫版は,全体にわたって用字用語(例:そ奴→そいつ)に修正がかけられており,以前記したように音楽でたとえるとリマスター版である。

各文庫の特徴をあげると,早川文庫版は単行本をそのまま文庫化したもの。新潮文庫版は一部に手を入れた他,ルビがもっともていねいにふられている。角川文庫版は上記のとおりリマスター。

References

References
1 最新作『フィルムノワール/黒色影片』に不足しているのは,プロ野球,それも長嶋茂雄への偏愛が失われてしまったことかもしれない。「リンゴォ・キッドの休日」から「ヨコスカ調書」に至る二村シリーズ第2期において,野球についての言説が,その人物造形に大きくかかわっている。

回収

テーマを設定して,続けて書こうとすると,資料が紛失する。何を書こうとしたのか忘れて,そのまま放置しているものがいくつもある。

資料が出てきたものもあり,書くことを探してそのままにするのもなになので,少しずつ続けていくことにする。

他人事とは思えない

場所は悪くない。駅の近く,新宿へと続く通りのバス停の真ん前。左右3メートル×奥行7,8メートルと店のスペースは狭いものの,先に店を開いていた喫茶店は,うまくセッティングして,それなりに固定客もついていたはずだ。1,2年前にそこに新しい店は入った。定食だけではなく,一人飲み用につまみとセットにしたメニューもある。

開店してしばらく,家族と出かけたときのことだ。40歳代の店主一人で切り盛りしている。といっても客は50歳代の晩酌目当ての客だけ。メニューは揃えてあるものの,レトルトと冷凍食品に火を入れて出す雰囲気が漂う露骨なもの。注文の段取りが慣れないのは初々しいというよりも不安を醸し出す。

しばらく時間が経って,注文した品が出てきた。「ドレッシングはあちらにありますから,好きなもの使ってください」,対応が素っ気ないのは店主の一貫した対応だった。そう指されたほうに目をやると,市販の家庭用ドレッシングが5,6種類並んでいる。「好きな市販のドレッシングを使ってくれ」という意味なのだ。

晩酌目当ての客も戸惑っていた。アルコール2杯につまみ3品がついて1,000円程度とかなり安い。客は料理を食べて〆ようとしていたらしい。念のために確認したのだろう。「アルコールは2杯だね」。にもかかわらず,何を勘違いしたのか店主は,彼から「お代わりしてもいいだろうか?」と尋ねられたと思ったらしい。それも「尋ねられた」というより「プレッシャーをかけられた」かのように受け取った。だからこんなふうに返事したのだろう。「いいですよ」。口を尖らせるかのようにして店主はそう返事した。慌てたのは客のほうだ。すでにビール中ビン2本を飲んでいる。さらに飲めというのか,と。

気まずい空気が漂い,しかたなく客は酎ハイを頼んだ。この店は長くないな,と私は感じた。

にもかかわらず,蕎麦やうどんをメニューに加え(もちろん冷凍だろう),店は閉まらずに続いている。

先日のこと,そのとき以来はじめて,その店に入った。午後1時をまわった頃で,万が一,昼時に賑わっていたとしても空いているだろうと考えてのことだった。ところが店内は予想していない状況に変わっていたのだ。(続きます)

夜桜

仕事をいつもより少し早く切り上げて,家内・娘と茗荷谷で夕飯。はじめて入ったパンケーキが売りだという軽食店。人気のピークを過ぎたのか,鄙びた観光地で女性目当てに開いているその手の店のような感じだ。帰りに播磨坂まで歩いたところ,花見客で賑わっている。明日からは天気が悪いというから,今年は今日が最後の景色だろう。

椎名誠の『活字の海に寝ころんで』(岩波新書)を鞄に入れ,少しずつ読んでいる。

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