Atari

ページを捲りながら本の束(つか)がわからないというのは,謎に主題を置いた本にとって魅力的だと思ったことがある。物語の終わりが次のページかどうかあたりがつかないことは武器になるのではないかと思ったのだ。泡坂妻夫が現役だった頃ならば,武器を携え魅力的な物語を紡いだに違いない。

そう考えたのは数年前のこと。

ただ,これだけ電子書籍が話題に(だけは)なって後,量のあたりがつかない状態に,いまだ愉しみを見出せずにいる。

左手で辞書を摑み,探している単語が解説されたページに容易くたどりつけたのは,つまり摑んだ幅が辞書の全体であって,そこからおおよそのあたりをつけることが,それほど難しくはないからだと思う。
要は,初めがあって終わりがある全体をいかに摑むかだ。

Webで単語を検索する。そこに全体を見出すことはほぼ不可能なところに困惑する。データベースへのアクセスはそういうものだと言われればそれまでだけれど,どこかそこではないどこかへと身を置きたくなる。

四半世紀

徹の家というよりも,徹と連れ立ってぷらんぷらんすることがほとんどなくなってしまったため,記憶は定かではないものの,最後に八王子のはずれにある実家へ行ったのは平成元年だったと思う。
冬のことだ。片倉と相原の中間あたり,猫が凍死しかねない寒さのなかを,伸浩のレヴィンに乗って夜なかに着いた。徹の父親が量販店の店先で「これちょうだい」と指さして買ったファミリアが路駐してある後ろ,レヴィンを路肩に寄せて停めた。街灯に照らされて,左側のガード下は谷に雑草がなだれ込むのが見えた。

谷を挟んで向こう岸には養鶏場があり,こちらの手前からは雉のような鳴き声がした。
「隣の家がくじゃくを飼っているんだ」
迎えに出てきた徹はそう話す。隣の家までは100メートルはある。くじゃくの鳴き声と言われてもピンとこない。とにかく寒かった。

先に来ていた昌己と4人で麻雀卓を囲み,帰路につくのは4時過ぎ,そんな週末が月に何度かあった。ときどきは国立あたりまで出かけたものの,麻雀荘で終電を逃すと,それも国立の終電過ぎなど,町があってないに等しいので,車で動かず始発まで何とか居場所を確保するのに精いっぱい,非道い週末を繰り返した。

先日,仕事で八王子みなみ野で降りた。宇津貫という地名を見て,はじめてここが徹の家のすぐ近くだということに気づいた。
気づいたけれど,四半世紀前,私たちがたどり着いた場所とは似ても似つかない。まったく別の町並みになっていた。あまりに変わりすぎていて笑ってしまった。

もう,くじゃくは鳴いていないのだろう。

綴り

1年くらい前から,結城昌治や三好徹のスパイ小説を続けて読んだ。バーに勤める女性がこの世に存在しなければ,彼らの小説が描く世界は違ったものになったのだろうか,それとも小説自体書き記すことがなかったのだろうか,などと思いながら,それなりの冊数を読んでしまったため,さすがに食傷気味になった。

『殺意という名の家畜』以外,ほとんど手にしたことがない河野典生の小説だけど,少し前に赤羽のアーケード内にある古本屋の店先で『アガサ・クリスティ殺人事件』が売っていたので手に入れた。
読み始めてしばらく,“数枚綴りの航空券”というような表現があって,とても懐かしい気分になった。

平成のはじめ頃,当時,弟が勤めていたミラノに出かけたのが(団体旅行以外)はじめての海外旅行だ。ソウルでトランジットして,アムステルダム経由ローマ行きの大韓航空機だった。
風采からしてスリに遭遇する危険のかけらものないものだから,トラウザーズのポケットに財布を突っ込み,ただ気をつけたのはパスポートとエアチケットを落とさないことだけだった。
毒々しい赤,青,緑か何かのペラペラの紙にタイピングした文字はほとんど判読できなかったけれど,あれで空港で通用するのが不思議だった。ミラノから寝台列車でパリまでたどりつき,ポンピドーセンターとアニエスベーに寄ったきりでシャルルドゴール空港へ行かねばならない強行軍。あの判読しがたいチケットが,この空港で通用するのも不思議だった。

その後,何度か海外に出たけれど,いつの間にかチケットの存在感は薄れていた。

つぼ

最近の話。

くるりに,こんなに嵌るとは思ってもみなかった。新譜(CDシングル)の“o.A.o”のミニマル具合は,ほとんど80年代のクリムゾンに並ぶものだし,タイトル曲を聴いて,少し前に書いた通り,The Beatlesの“Birthday”をどれくらいぶりかで思い出した。一番最近,手に入れたアルバムは「NIKKI」で,こっちの“Birthday”は,MadnessやThe Smithに近いテイストで,“Superstar”のベースラインはXTCのColin Mouldingみたいで(The Disappointed),オリジナリティ云々いうより,何だか繰り返し聞きたくなる感覚は,本当に久しぶり。

“ロックンロール”や“ワールズエンド・スーパーノヴァ”は,かえって今っぽい。

むかし

私にとって,昭和60年代の記憶が「むかしのこと」になったのは10年くらい前だと思う。それまでの10年と少しは余韻のようなものだ。
そこから先,リアルタイムの記憶を積み重ねていたはずが,初めあたり,つまり21世紀に入ってからさえも,すでに「むかしのこと」になっているのにびっくりした。

くるりの「NIKKI」がリリースされたのは2005年の11月で,その年の夏,私はハリケーン・カトリーナの到来を知らずにニューヨークに出かけた。それはメトロポリタン美術館でフェルメールを見て,グッゲンハイム美術館に取り残されたハンス・アルプを確認し,グランド・セントラル・オイスターバーで食事をするという物見遊山の1週間だった。

そのとき抱えていったラップトップパソコンをこのところLinux用にして使っていると話すと,「かなりむかしのことですよね,それ」と言われ,確かに「むかしのこと」に違いないと思ったのだ。

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