Soon after purchase

レコード店でジャケットの表裏を眺め,可能な場合は歌詞カードまで取り出し読み進めて手に入れる。問題はそこからだ。
ビニール袋に入ったレコードを抱えて家まで帰る時間の長さはいかんともしがたい。一緒に本を買うと,メディアとしてのその違いは如実だ。本は買ったそばから読めるのに,レコードは家に帰るまで聴くことができない。ずっとそう思ってきた。

「買ってすぐ聴けるじゃないですか」

言われてはじめて気づいた。iTunesと電子書籍どちらも,買ってすぐ聴いたり読んだりできるのだと。

「英語圏の読者に情報を発信するのも電子書籍はハードル低いです」

いつもそうなのだ。考え方の違いが本当に面白い。

14

友人の家の2階だった。「クリムゾン・キングの宮殿」と「リザード」のジャケットを前に,私たちは相談していた。手にはソニーのカセットテープDUAD46分。

「こっちの2曲目から録音して」
「うん,1曲目はいいの?」
「うるさいから」

人はこのようにして選択を誤る。しかし,「21世紀に精神異常者」のフェイドアウトしたところでデッキのスイッチを押してしまい,最後の混沌が再び始まる箇所から,私のカセットテープはスタートした。「リザード」は,ボーカリストの声が14歳の私にとって,なにがしかの感興を及ぼす響きではなかったために,録音することもしなかった。友人は「貸してあげるよ」,たぶん親切心からなのだろうけれど,そう言った。

部屋には,クイーンとジャパン,キンクスのアルバムとヴァン・ヘイレンの「炎の導火線」が置かれていた。ヴァン・ヘイレンのアルバムはどこか音の深さが他のアルバムの音とは違って聞こえた。
中学2年の秋のことだ。

美術の時間に,学校裏の神社で絵を描いていると,「ウルトラマリンブルーの絵の具持ってらぁ」
彼はそうやって近づいてきた。何かウルトラマリンブルーにトラウマでも抱えているのだろうか,やけにその単語を連発するのが気になった。

はじめてその友人の家に遊びに出かけたときのことだと記憶している。

Free

娘がくるりのフリーコンサートに出かけた。14歳で,はじめてのコンサートがくるりというのは悪くないなと思う。

浦和から歩いてかなり距離がある田島が原のフリーコンサートへ出かけたのは20歳の夏のこと。P-MODEL目当てで,何度も記したとおり,フリーコンサートが無料コンサートとイコールでないことを知ったのはこのとき。

で,今日のフリーコンサートは,無料だったそうだ。

Quruli

加藤和彦の何曲か以外,それがXTCでもPrefab Sproutでも,家族とともに聞く音楽ではなかった。Terry, Blair and Anouchkaの1stアルバムとFun Boy Threeの“Our Lips Are Sealed”くらいが,やや反応あった程度だ。趣味の問題だから,そのことについてとやかくいったことはない。

くるりについて,10年くらい前の「ロッキンオン」で岸田繁がロバート・フリップと対談し,そのなかで「ぼくは『アイランズ』が好きなんですが,そんなぼくはだめですか」といったニュアンスのことを直接訊ねたのを覚えているくらいだった。(これは編集者の発言だった)

娘がiTunesで最初に買ったのは「魔法のじゅうたん」で,小田和正ファンの家内はライブバージョンの「ばらの花」を聞くようになった。

数か月前,「The world is mine」を手に入れてから,わが家でのBGMというか,寝る前のしばらくのあいだ,かけているのはくるりの曲ばかりだ。「NIKKI」までたどり着き,31日のフリーライブに娘と家内は出かけるという。

というわけで,このところCDプレーヤーの稼働率がかなり高い。

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