ZCON

そもそもが平沢進のライブに足を運ばなくなったきっかけは1992年のHi-Resだったのでインタラクティブライブを会場で観た記憶はない。何回か,在宅オーディエンスとしてそれを観た程度。今回のライブのもとになる新譜も手に入れていない。

それでもコンサート直前にチケットを購入したのは,自身の単独ライブで最大のキャパシティをもつ会場で3公演行なう暴挙,それを目に留めておこうと思ったからだ。で,ステージ左右から近い列は販売していなかったので1,500~2,000程度はキャパシティを狭めていたとはいえ,あれだけ大きな場でライブを行なってしまえることには驚いた。

もちろん,平沢にとって数は質に還元されることはあるまい。ただ,場で行なうために必要な数は存在するのだから,それに対してはきちんと評価すべきであろう。曲(や仕立て)がライブハウスに合わなくなってきたと昭和の終わりだったか平成のはじめだったかにインタビューで答えていたはずだ。

それなりに長く平沢のライブを見た身にとっては,オペラのようにエラーあってのライブだから,もっともエラーが起こりやすい初日のチケットを購入した。

で,SNSで平沢がばら撒いている質の悪いものとはまったく異なり,そこで展開されていたのは結局,FEAR’S BRAVOと地続きだったことにホッとした。このおじさん,変わっていないのか,というように。(続きます)

三連休

三連休。午後から事務所で仕事。依頼を受けた発送の準備など。昼食は近くの喫茶店でとる予定が,15時で閉まってしまうのだという。近くのクレープ屋に家内と入り,サッと済ませる。事務所に戻り,仕事の続き。雨が降ってきた。

日曜日も昼から仕事。発送の件で打ち合わせ。15時過ぎに戻り,花粉症の対症薬を処方してもらう。忘れ物を届けに家内と娘と池袋で待ち合わせ。駅前の薬局は日曜日で閉まっていたり混んでいたりして使い物にならない。家に行き,忘れ物を抱えて池袋まで行く。喫茶店で娘に近くの調剤薬局を調べてもらい処方箋を渡す。10分ほどで薬が出てたので喫茶店に戻り,少し休憩。夕飯をとることになった場合はLINEに連絡してもらうことにする。事務所に戻って仕事の続き。結局,夕飯は自宅でとることになった。平沢進のチケットがまだとれるようだったので申し込む。

月曜日も午前中から事務所。まあ,ここ2日の事務所仕事は,Stores用というか古本として販売する本のなかで文庫本を選び,整理していたのだけれど。五十音順に日本人作家の文庫本の整理にめどがついた。本職の仕事を少しすすめ,夕方から家内と高円寺まで買い物に出かけた。新高円寺のほうまで歩き,ルックの古着屋で春先用のJOSEPH ABBOUDジャケットが1,000円ほどで出ていたので思わず買ってしまった。さらに古着屋が増えた気がする。

ドラッグストア,スーパーマーケットで買い物をして,夕飯用にお弁当を買って帰宅。

平沢進は週末3公演あるようで,そのうち初っ端のチケットを購入した。発券したところ,先日のくるりのライブとほぼ同じあたりで,ただ最後列だった。あのキャパシティで最後列まで埋まるのかと感心してしまった。平沢のライブはトラブってなんぼのものだから当然,金曜日のチケットを選ぶ。

Nightmare

花粉症の時期に用いる対症薬,その副作用に「悪夢」とあったこと数年前に書いた。以来,この時期になるとしばしば悪夢をみる。昨年から用いている薬の副作用に「悪夢」は記されていないものの,似たようなものだろう。それよりも副作用で夢の質をコントロールし得るというのが恐ろしい。

今朝もまた悪夢だ。シチュエーションや登場人物は「悪夢」に紐づけされているようで,しばらく前の会社の部内の体制が繰り返しやってくる。当時,それほどいやな思いをした記憶はないのだけれど,悪夢に紐づいてしまったため,当時の同僚や上司が別のキャラクターであれこれ言ったりしたりする。

実際の仕事のほうは当面のめどがつき,決算に向けて帳尻を合わせていくだけではあるものの,こうしばしば悪夢を見ると,徹ではないけれど,寝たことにならないんじゃないかと思ってしまう。

週末

土曜日は昼前に事務所へ行き事務仕事を少し。午後,家内と待ち合わせて朝霞台まで行く。「坂口尚 高寺彰彦原画展」。朝霞台には30数年前,隆史に紹介された大学模試のバイトで一度だけ来たことがある。今回,それが東洋大学だったことを思い出した。そのとき駅前で,当時アルバイトしていた精神病院に長く入院していた患者さんと会った。「どこかでみたことがある顔だ」と洒落っ気なく,ただただ独り言ちる様子が通りすがりに目に入る。

病棟で赤マーク(調子が悪いため要注意。病棟以外の出入りはカウンターで止める方)だったにもかかわらず,「果物剥くからナイフ貸して」といわれ,考えもなしに渡したとき,穿つように私を見る目をしたその患者さんだ。そうみえたのは私の偏見ゆえだったのかもしれない。ふつうに貸して,数分後,あたりまえに返しにこられた。返しにこられたときにも,同じく顔色を値踏みされたように思った。

朝霞台の駅前はどこかの駅前と似たように開発されていた。駅前の喫茶店に入り,少し遅めの昼食をとる。やや遠回りして会場に入る。

坂口尚の原画を見るのは数回目になる。見るたびに,すごいなあと思うとともに,今回はつい左手を動かして模写したくなってきた。なぞってみたくなる線の魅力。高寺彰彦の原画もすごい。大友克洋門下というか,今敏にも共通して,登場人物の表情が独特だ。好き嫌いはさておき,デッサン力のすごさが伝わってくる。

1時間ほど見て,帰りに単行本3冊を購入して会場を出た。ブックオフがあったので寄り,2冊購入。昼に入った喫茶店でコーヒー豆を買い池袋に戻る。夕飯用にお弁当を購入して帰宅。

日曜日は,ひばりが丘まで墓参に出かける予定。義父の誕生日近くだったと思う。事務所で1時間ほど発送の準備とサイト更新をして家内とひばりが丘まで。途中,練馬で買い物をし,デンマークで昼食。16時過ぎに墓地に着いた。あたたかい。墓を掃除し,線香をあげる。近くの喫茶店で休憩。田無まで出て,私はブックオフに。2冊購入。家内と待ち合わせ,買い物をして帰宅。

島田一男『島田一男大陸小説集1 軍報道部』(大陸書館)が届く。

3/10

午前中は今月後半からはじまるプロジェクトの準備。自分の写真を用意する必要がある。昼に自宅へと戻り,昼食をとる。着替えて事務所でいわゆる自撮り。勘所がわからない。この10年,自分の顔が映った写真で使えるものなどほとんどないのでしかたないけれど,いったいどれくらい写したかわからなくなってきた。14時過ぎ,これ以上,撮影してもしょうがないと判断して,写真データをひっくり返し,2葉を選び,少し加工する。

発送の準備と請求書の作成。夕方からプロジェクトのサイトページを修正。ふたたび発送準備をして20時くらいに帰宅。

写真データをひっくり返すと,なんとか使えそうなものは11年前,東日本大震災後に,仕事で京都に出かけたとき,家内,娘と一緒に撮影したものくらいだった。京都で仕事をしている丘野君と息子さんと円山公園で待ち合わせて食事をしたときのものだ。

大阪で集まりの取材があったので,震災1週間くらいの時期,もろもろ不安を抱えながら家族と京都に向かった。知恩院の旅館に宿泊したその前後の感触をいまも思い出す。

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