立ち尽くす

弟は昔,ツバキハウスで(ピテカンではなかったと思うが)トイ・ドールズのライブを見たとき,あまりの激しさに胃がひっくり返ってしまったという。

同じような経験をしたのは,平沢ユニット改め此岸のパラダイス亀有のワンパターンバンドのライブにラ・ママへ行ったときのことだ。昌己は「気が遠くなった」というほどに酸素が薄いライブだった。マスクで酸素吸入してまでライブすることはないと思うのだが。
それでも「ダイジョブ」での「わたし しぶとい 伝染病」コールには燃えたが,とにかく激しかった。

その後,P-MODELは氷河期に入り,平沢ソロは,はじめこそクアトロだったが,徐々にキャパシティが広くなり,いきおいライブハウスからは2年くらい遠のいた。

渋谷,新宿のライブハウスへいくことはなくなり,しばらくして,中央線沿線に移っていった。高円寺20000Vや吉祥寺曼陀羅。ジョン・ゾーンや吉田達也など,土曜の夜に行なわれていたライブは,サラリーマンにはもってこいだ。
たった1,2年しかたっていないのに,ライブハウスは様変わりしていた。オールスタンディングであっても,スタートまで皆,埃だらけの床に座りこんで,言葉少なに待っているのだ。

「立ち尽くせよ!」

ライブの帰り,1Fで回転寿司をつまみながら,われわれは,よっぱらいオヤジのように,ため息をついた。

フォークとメタル

そのころ,フォークファン,パンクス,フュージョンファン,メタルファンは,われわれにとって差異化の対象だった。決して,個人を攻撃し,優劣を競っていたのではない。

とはいえ,有名なフュージョン川柳「カシオペア マルタ スクエア ネイティブサン」などは,笑いのつぼにはまった。バンド名(一部個人名)をつなげるだけで,なぜ,あんなに笑えたのだろう。
誰もが,YMCAのピクニックみたいに,同じ理由で笑い合ったりはしなかった。
例の川柳をネタに馬鹿話を続けていると,和之がポツリといった。
「俺,はじめてメンボ見て,YMO好きだっていうから入ったバンド,実はネイティブサンのコピーバンドだったんだ」
この一言が,さらに,われわれの笑いのつぼをとらえたことはいうまでもない。
彼は渡辺香津美ファンだった。あるとき,フリップ&イーノの1stを聞いていると,ジャケ裏の写真を見て一言「香津美と武満徹みたいだね」と,ファン心理を土足で踏みにじるような,実に的確なコメントをした。返す言葉はなかった。確かに似ていた。

さて,フォーク,パンクス,メタルだ。

パンクスについては,ねりパン(練馬パンクス)の一言で片付けてしまおう。ただ,この「ねりパン」,今まで活字で見た記憶がない。「ねり」はカタカナか,または漢字表記だったのだろうか。

フォークとメタルについてのエピソード。
遂に完成をみなかった一曲に,その名も「ナノ・デス」がある。

ことのはじまりは,「フォークの歌詞を終わりは“なのです”が多いよな」という友人の一言だ。もうひとりが「メガとかピコ,ナノ,単位って音にすると情けないな」。
この瞬間,フォーク調の導入部から1番の終わり「……なのデス」にいたると,デスメタルに急転する,「ナノ・デス」のコンセプトは完成した。

英米人が聞けば「デスメタルか」,日本人にとっては「フォークだろう」という乖離のみにこだわったのだが,まず,フォーク調の歌詞を書ける才能がどこにもなかったため,件の曲は今日まで完成していない。
もちろん,デスメタルを演奏することもできはしなかったのだが。

クリムゾンとディックをめぐる勘違い

1981年,“DISCIPLINE”を引提げて,飾り立てられたアイコンを自らたたき潰すまで,キング・クリムゾンをめぐる神話ともいうべき言説が巷を駆け巡っていた。

そのころ,滝本某が,クリムゾンとフィリップ・K・ディックの関連を意味ありげに語るライナーノーツ(ライブのパンフレットだったかもしれない)を読んだ。いわく,『SMIU』=フリップ&イーノに対して,『ヴァリス』はクリムゾンだというのだ。(符牒みたいだ。何と説明しづらいことだろう)

時,まさに『ヴァリス』の翻訳が出たばかり。
早速,入手した。
刷り込みとは恐ろしい。クリムゾンとの関連ばかりを探しながら読み進めた。すると,「帝国は1974年9月に終わった」というような意味の一節が飛び込んできた。
これに違いない。クリムゾンが解散声明は1974年9月に出たのだ。キング→帝国,意外と近いではないか。

その発見に満足してからは,とりあえず読み終えようとページをめくり続けた。(にしても相手は『ヴァリス』だ。やっかいにもほどがある)

さて,それから何度ディック再評価→雑誌の特集があったことだろう。多くは,蒸し返しばかりだった。

ただ,そのなかのひとつ記事に,件の時期1974年9月は,ウォーターゲイト事件,ニクソン退陣を意味すると記されていた。

あたりまえに考えても,ディックがクリムゾンの解散について言及する必要など,それより前に,クリムゾン自体,聞いたことがあるはずない。
そうした連想が,それほど不自然ではない時期があったということだ。

彼はテレポートできたのか

買ったまま,読み終えない本の代名詞が『薔薇の名前』であることは,われわれの間では別段,恥ずべきことでなかった。しかし……。

奇妙な読書体験がある。実に面白いストーリーなのに,あるところまでくると,どうにも意味が理解できなくなる。4度読み返して,4度とも同じ箇所から,先へすすめなかった。翻訳小説,それも悪名高きサンリオSF文庫だったので,訳のためだと思っていた。

その小説は密かに改訂がすすめられており,著者の死後,改訂版が新たに出版された。
今度はすっきりと読み終えた。読み終えたはいいが,どうも同じ小説には思えない。度重なる頓挫の後,初版を今一度読み返そうとするほどの勤勉さは持ち合わせていなかった。以後,初版は実家で埃をかぶったまま時を重ねている。謎は何一つ解決していない。

問題の箇所は,主人公が,その後どうなるか定かでないまま,テレポートして遥かな地をめざす,そのあとだ。まるで自分がジャーゴン失語に陥ってしまったかのように,意味が辿れなくなる。

今になってみると,改訂版はストーリーすら記憶の埒外にある。初版の圧倒的な読書体験には,まっとうなストーリーでは太刀打ちできないということだろうか。
初版のタイトルを『テレポートされざる者』という。著者は,フィリップ・K・ディックだ。

ハイ・フィデリティ

昌己とは,読んだ小説のことを話題にした覚えは一度しかない。
まったくの偶然で別々に手にし,同じ感想をもった。数年前,『ハイ・フィデリティ』を読み終えたあとのことだ。
漏れ出た言葉はまったく同じだった。他人事とは思えない話だが,2つだけ気に入らないところがある。恋愛のエピソードはいらないというのが,まずひとつ。もうひとつは,もうひと回りだけ,新しいバンドを扱ってほしかった。

「ニューウェイヴ好きで,恋愛なしだったら,座右の書になるぞ」
「そんな話,書けるとしたら大槻あたりかな」

レコード店の紙袋を後生大事に抱えている男や,最高のカセットテープづくりは励む姿は,読んでいると情けなさを通り越して,切なくなってくるほどだった。
まさに,楽器少年にならなかったロックファンのありうるべき姿が,そこにはあった。

喬史がポリスのブートレッグを買い,「音が悪い」という理由で返品に向かうのに付き合わされた経験を持つ身としては(あげくに柄の悪い店員に「お友だち,ブートレッグが,どんなものか知ってるんですか」と吐き捨てられたのだ),まるで,あれは,この小説のなかのワンシーンではなかったかと錯綜してしまった。

喬史は,その後,「あの,音の悪さがいいんだよな」と,信じられない台詞を吐いた。

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