12/20

朝から事務所で仕事。10時半過ぎに高田馬場まで出て銀行の手続き。この間馴染みになってしまった不条理な行為だ。理にかなった行為ではないから,書類を出し,待ち,確認を得て帰るだけのことで,ただただ行員が作業する場に身を置くだけのこと。中井に戻り,早めに昼食をとる。事務所に戻り仕事の続き。

贈っていただいた『ブルームズベリー・グループ』(中公新書)を読む。フェミニズム運動の出自の一部にかかわるというものの,いまひとつその意味するところが理解できない。たとえば私の友人たちであっても当時,集まってはくだらない話を続けていたことに何らかの意味づけはできるかもしれない。その後,それぞれが社会的に高名な活動をしたかどうかはさておき。50歳を過ぎて探偵になったり音楽家になったり,なかなかではある。

昔,ほんの少しだけ読んだヴァージニア・ウルフの小説はまったく記憶にない。文学的に何がどうすばらしいのかはもちろん,なにひとつ感じることがない代物だった気がする。それがここ数年,ヴァージニア・ウルフの文字面を見る機会が少なくない。読み返してみようかとは思うのだけれど。

添う

死にゆく人を前に文学は,とか拳銃はとかのたとえではなく,近い将来,死にゆく人の前に向き合うことがある。母親の末期,仕事帰りに週数回,病院まで見舞いに出かけた。繰り返しになるけれど,末期とは当人にも関係者にも難儀なことが少なくない。亡くなったときから遡って,何かを考える癖がついてしまうと,どこか亡くなるときをただ待っているような感じがするということは以前書いた。

時間がないことは明らかである。ただ,ない時間がどれくらいあるのかわからない。その状況で死にゆく人に添うというのは可能なのだろうか。私は添えずにいることばかりのような気がする。

曰く,間に合うように一日も早くすすめてほしい,と言われたとき,にもかかららず,現実的に必要な時間を早める所作をすることがあまりない。決定的に添うという所作について,私は欠落がある。

12/15

午前中は校正の整理。午後から高田馬場まで校正を渡しに出る。トイレの交換見積もりの件で来客があるため,一度自宅に戻る。家内が対応し,すでに確認は終わっていたようで,とりあえず昼食をとって事務所に戻った。

銀行のワンタイムパスワード操作の意味を感じられない操作をしなかったため,登録が終わっていなかったことが発覚。登録完了のメールに,この後しなければならないことは書いてほしくない。というか,それでは「登録完了」じゃないから,メールのタイトルがおかしいのだ。そのためにまた,銀行来店予約をとり,書類を渡すだけの行為に出かける時間がとられる。カフカの世界だなあ,まったく。

定時に仕事を終え,家内と中野まで買い物に出る。古本屋を数軒覘いたものの,何も買わなかった。中井のパスタ屋が3日間,全品半額サービスを行っているので混雑覚悟で入ったところ,幸いカウンター席が空いていて,すぐに入ることができた。

作業をするために必要なものはだいたい揃ったものの,セッティングの調整が必要な感じ。仕事場のBGMをSHOUTcastに変えてみた。まあYoutubeでもよいのだけど。インターネットラジオを流していると,2002年,はじめてiMac G4をネットにつないでiTunesから流れてきた放送が蘇る。あれは衝撃だった。

週末

土曜日は家内と新宿まで。昼を一緒に食べようかと思ったものの,思いのほか買い物に時間がかかる。とりあえず仕事の関係で王子まで。頭痛気味で,結局夜までおさまらなかった。17時くらいに散会し,新宿で落ち合う予定がそのまま帰宅。2時間くらい眠る。とりあえず頭痛はおさまり,帰宅した家内と夕飯をとる。

日曜日は昼前に事務所まで。仕掛の本のカバーに使う写真の打ち合わせ。作業をしているとすぐに昼になってしまう。午後に一件,仕事の電話をかける。込み入るかと懸念したものの,それほどでもなかった。18時過ぎに退社。日高屋で少し休憩して帰宅。家内とテレビを見ながら夕飯。

経理ソフトを入れたり,版元ドットコムに連絡をとったりと,編集以外の仕事をすすめる必要性をようやく感じてきたところ。よくわからない風習はスルーして,ただ,スルーしたところに傍目に面白いネタが落ちていたりもする。傍目で,だけれど。

King Crimson

1984年,当時のラインナップでの活動が終わる頃,ロバートフリップファンクラブに入会した。会員は30名弱。会長はSARASVATIのベース奏者,川合紅さんだ。数年間,在籍したものの,例会には一度も参加せず,会報に数回寄稿しただけの会員だったけれど,あの数年間の感覚をときどき思い出す。

1977年,ロバート・フリップ中耳炎患者になってから10年ほどで,あのギターの音色に絡む独特のマジックに出会いの聖なる一回性を求めることはなくなった。

週末にスタジオに入っていた頃だっただろうか。もしかすると学生時代だったかもしれない。昌己がこんなことを言った。バンドを複数掛け持ちすると諸々のクオリティが下がる,下津光史のような例があるから一概にそうはいえないだろうけれど,80年代以降,いくつものバンドを掛け持ちするミュージシャンがめずらしくなくなったとき,確かにそのような感じを受けた。

1つのバンドで作品をつくり,サーカスよろしく各地で演奏し,またスタジオに入る。その繰り返しを複数のバンドで行なうことは難しい。経済的な理由によるのかもしれないけれど,そんなことするとスタジオミュージシャンになってしまうのではないかと思いもした。スタジオミュージシャンはもちろん,ここでは侮蔑用語だ。

20年前,21CSBというユニットができた。元キングクリムゾンに属したミュージシャンにジャッコが加わり往年のナンバーを演奏するという恰好よさのかけらもないコンセプトのユニットだ。2014年以降のキングクリムゾンを21CSBになぞらえる人の投稿を読むことがあるが,あながち見当はずれでないところが悲しい。ただ,デイブ・リー・ロスよろしく,カバー曲にオリジナルのミュージシャンを招聘する妙なすがすがしさを感じるものの。

2015年,2018年,2021年,3回にわたりキングクリムゾンのコンサートを観たが,結局,1972年から74年のコンサートを観たかったという欲求に代わるものではなかった。

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