King Crimson

1984年,当時のラインナップでの活動が終わる頃,ロバートフリップファンクラブに入会した。会員は30名弱。会長はSARASVATIのベース奏者,川合紅さんだ。数年間,在籍したものの,例会には一度も参加せず,会報に数回寄稿しただけの会員だったけれど,あの数年間の感覚をときどき思い出す。

1977年,ロバート・フリップ中耳炎患者になってから10年ほどで,あのギターの音色に絡む独特のマジックに出会いの聖なる一回性を求めることはなくなった。

週末にスタジオに入っていた頃だっただろうか。もしかすると学生時代だったかもしれない。昌己がこんなことを言った。バンドを複数掛け持ちすると諸々のクオリティが下がる,下津光史のような例があるから一概にそうはいえないだろうけれど,80年代以降,いくつものバンドを掛け持ちするミュージシャンがめずらしくなくなったとき,確かにそのような感じを受けた。

1つのバンドで作品をつくり,サーカスよろしく各地で演奏し,またスタジオに入る。その繰り返しを複数のバンドで行なうことは難しい。経済的な理由によるのかもしれないけれど,そんなことするとスタジオミュージシャンになってしまうのではないかと思いもした。スタジオミュージシャンはもちろん,ここでは侮蔑用語だ。

20年前,21CSBというユニットができた。元キングクリムゾンに属したミュージシャンにジャッコが加わり往年のナンバーを演奏するという恰好よさのかけらもないコンセプトのユニットだ。2014年以降のキングクリムゾンを21CSBになぞらえる人の投稿を読むことがあるが,あながち見当はずれでないところが悲しい。ただ,デイブ・リー・ロスよろしく,カバー曲にオリジナルのミュージシャンを招聘する妙なすがすがしさを感じるものの。

2015年,2018年,2021年,3回にわたりキングクリムゾンのコンサートを観たが,結局,1972年から74年のコンサートを観たかったという欲求に代わるものではなかった。

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