野苺

結婚して30年になる。この時期,数年に一回くらい,家族で旅行しているのは,そんなタイミングでないと,瑣事にかまけてしまうからだ。

今年は万座温泉に行くことにした。軽井沢経由で万座温泉宿泊の手頃なツアーが見つかったのだ。予約を済ませてから,軽井沢から万座温泉への距離に慄く。ホテルの送迎バスで90分ほどかかる。ホテルから軽井沢までの移動で3時間。都内から軽井沢まで往復3時間強。一泊二日のうち,かなりの時間が移動にとられてしまう。軽井沢に用事があるわけではないので,移動も旅行のうちと割り切って当日になった。

昼前に軽井沢に着き,送迎バス乗り場を確保する。タクシーで丸山珈琲本店まで向かう。小一時間休憩して,帰りは徒歩で。14時の送迎バスには十分間に合った。ここまでは予定を立てていないにもかかわらず順調だった。

ここから90分。たしかにそれだけの時間をかけてホテルに向かった。

道路を直線に90分ならば大したことはない。ところがこの道順が,中軽井沢まで行ってから鬼押出し方向に進み,万座・鹿沢口を経て,嬬恋を越え,万座温泉までひたすらと群馬県を北上する。この間,休憩なしに,蛇行に次ぐ蛇行といくつもの峠を越えていく。内臓がダメージを受けてもおかしくない移動だ。子どもの頃,昔の高速船で船酔いをして以降,乗り物で酔うことはなかったものの,三半規管がおかしくなってきたような感じがする。

16時前にホテルにチェックインしてから温泉に入る。家内は結婚してしばらくしてから乗り物に弱くなった。今回は90分の移動行程だったので心配だったが,ホテルに着いてから調子がわくるくなってしまった。帰りのバスをどうしよう。ここでようやく旅行の計画を立てることになった。

週末

金曜日は野毛で飲み会。大学時代の知り合い9名で数年ぶりに会った。

和之と少し早めに天保堂苅部書店で待ち合わせることにしたものの,休みだったようで,ちぇるる野毛で落ち合う。飲み会は18時半スタートというので,会場近くの立ち飲み屋で小一時間。定時くらいに店に入り,上がっていくと,すでに他のメンバーは揃っている。

2時間半でかなり飲んだ。学生時代の知人と話すたびに思うのだけれど,当時,私たちの界隈は特異な目で見られていたようだ。そのようにはまったく思っていなかったし,夏休み前後など,アルコールも飲まずに,喫茶店で半日,くだらない話だけをして,友人たちと別れるとぐったりとしてしまうことしばしばだった。それは,何かよからぬものを嗜んでいるのではと訝しがられても仕方あるまい。

桜木町から横浜まで出て,新宿経由で帰宅。

土曜日は午前中,アルコールが抜けるのを待って,午後から事務所に行く。少し仕事をして,夕方から家内と高円寺の阿波踊りを見に出かける。20時前,雨が降り始めてきたあたりで駅に戻り,東中野で夕飯をとって買い物。

日曜日も午後から事務所で仕事。サイトの調整を半分くらい,残り半分は営業関係の仕事を少しすすめる。

近況

請負仕事が予定より2週間近く長くかかってしまい,並行するはずのなかった仕事がバタバタしている。インタビュー原稿3本のうち,1本はこれからまとめて月内発行。

家内から,寝ているときに息をしていない時間があると指摘されたのはしばらく前のことだと思う。自分ではそんなふうには思いもせず,ただ,いい歳だし,検査しておいたほうがよいだろうくらいの気持ちで西新宿のクリニックを受診した。

平成の初め頃,成子坂下に職場があったので3年くらい通ったものの,当時を思い出す風景はない。道路の変更が記憶に蓋をしてしまうことに,ときどき遭遇するのだけれど,このあたりの記憶とつながるものがここまで見当たらないと清々しくもある。

青梅街道を駅に向かうと,記憶と重なる街並みがポツリポツリと現れる。常圓寺とその裏の墓地が見えてくると,平成から昭和60年代まで遡ってしまう。

かぜ気味だったので,週末の昼飲みは1週間延ばして,ただただ終わりが見えてこない請負仕事と,その合間に入稿作業を重ねる毎日だった。

熱中

夕方家内と吉祥寺で待ち合わせるため,事務所を出た。数人の人だかりが見える。「救急車」「ムダ」あたりのやりとりが聞こえてくる。70代くらいの高齢男性を同じくらいの年の女性と20代後半くらいのカップルが囲んでいる。

たぶん,その人たちがいなくて,高齢男性一人で路肩に座っていたならば,私はやりすごしたかもしれない。気になったので様子を尋ねる。

駅の方から帰りの途中,何度か路肩にへたり込んでいる男性を見た近所の女性が,通りかかったカップルと一緒に放っておけないからといろいろ対応しているところのようだ。高齢男性は,救急車や警察を呼ぼうとするその人たちに「ムダ」の一点張りだ。家が遠くないそうなので,介助して行こうとするものの,杖代わりに傘をついて,体重を乗せるのに精一杯で歩けそうにはおよそ見えない。

止んでいた雨がぽつりぽつりと落ちてきた。事務所で少し休憩してはと誘うものの,帰るという。しかたないので私が背負っていたバッグを事務所に置いて,高齢男性をおぶっていくことにした。近くだという言葉を信じたのだけれど,最初の角を右に曲がり,上り坂を50メートルほど行った先をまた右に曲がる。一緒の3人は男性の荷物をもち,私たちに傘をさしての動向だ。不思議な五人組が歩く。

そうして300メートルくらい歩いただろうか。高齢者がそれほど重くなかったので,途中,二度ほど休憩しただけで家と思しき場所に着いた。古い2階建,玄関には鍵がかかっていて,人の気配はない。高齢男性に聞くと,家はここではないという。軒に沿って奥に進むともう1つ玄関がある。しかし,家はここでもない。奥の玄関の左3メートルくらいのところに,あとから設えた木製の外階段があって,その2階が高齢男性の家なのだそうだ。雨避け用にプラスチックトタンで屋根がつくられていて,空気は籠っているので暑い。

高齢男性はカップルと高齢女性の話には「ムダ」の一点張りでとりつくしまがない。私が彼の対応をすることにして,3人には救急車と警察への連絡をお願いすることになった。彼の了解を取っていてはらちがあかないので,路地近くの1つ目の玄関あたりで連絡していたようだ。階段下,高齢男性と私,二人になった。

息が辛そうなので,高齢男性がしきりに「話せば長くなるから」という話を聞くことはしなかった。それでも筋肉が痛み,地域で一番の病院で3回検査をしたものの診断がつかない。3回目の検査の際には体調が悪くなった。診断名は偽痛風で,高齢男性はそれを診断がついていないことと理解しているようだった。ボルタレンやロキソニンを処方されたものの筋肉の痛みは続き,別の病院に入院したものの,結局,その日,退院してきたところだったという。退院理由を尋ねなかったことに後で気づいた。

退院当日,家に戻って駅まで買い物をしている途中で歩けないくらいに体調を崩した。ベッドに寝ているから筋力が落ちた,と。私は熱中症であろうと思ったものの,少ない言葉に口を挟むことはしなかった。15時に買いものに出て,そのとき18時だった。彼は時計を見て,少し驚いた様子だった。往復1キロ程度の距離を行き来するにしては,あまりに時間がかかりすぎている。

少し落ち着いたところで,彼は木製の急な階段を慣れた手つきで登っていく。落ちてはまずいので私は後ろから抱えるようにして一緒に登って行った。ドアに鍵はかかっていない。先に入って涼しそうな部屋を探すと冷房をつけたままの一室があった。玄関に戻り,高齢男性のくつを脱がした。しかし,そこから先,立つ体力は残っておらず,おぶって部屋に入ってもらおうにも,体力が回復するのを待つしかなさそうだった。

救命救急士と警察官がそこにやってきた。事情を尋ねられたものの,通りがかりの者としか説明のしようがない。救命救急士が測ると体温は38度,脈拍は少し多い。私はそこまでいて,後は任せて事務所に戻った。

不思議な家だった。二階建の内階段を封鎖して,外階段をつけて貸す家を見ることがあるけれど,まさにそのもの。急ごしらえの玄関から中に入ると5,6メートル廊下があって,突き当りにキッチンが据えられている。廊下の左右に部屋があり,主に冷房がついたままの左の部屋で彼は生活しているようだ。

玄関を入ったところに画びょうで留められた新聞の切り抜きかチラシのような紙,反古に手書きのハングル文字が見える。ハングル語を勉強しているのだろうか。廊下に置かれたバケツに水が少し溜まっていて,そこに電源を点けたり消したりするのに使うらしい紐が垂れている。

このような特殊な出会い方をしていなければ,「話せば長くなる」話を聞きたくなってくる。

事務所があるこのあたりは,古くからある家やアパートと新しい小洒落た家とが複雑に絡み合っていて,ひと辻入るとまったく別の光景になる。小洒落た家は増え,古くからの家やアパートは減る。それでも,古くからこのあたりに暮らす人は容易く減るようなことはないように思う。

週末

土曜日,日帰りで広島出張。

元はといえば,Amazonの配送遅れに端を発したのではないかと思う。資料用に用いる紙を月曜日に注文した。到着予定は水曜日で,火曜日には発送を終えたとのメールが入った。

金曜日到着予定で広島に資料を送るには水曜日には発送を終えなければならない。ギリギリだけれど仕方あるまい。ところが,水曜日に2種類注文した紙の1種類のみ,それも18時過ぎに届いた。発送は間に合わない。段取りを変えるしかないのだ。

土曜日はだから,朝4時に起きて,5時には家を出るはずで準備をした。ところが,当日,目を覚ましたのは5時半だった。目覚まし時計をかけておいたにもかかわらず,こんなことは初めてだったので,一瞬,何が起こったのかわからなくなってしまった。もちろん,一瞬だ。

準備していた服を着て事務所まで走る。持っていく資料を抱えて駅に急ぎながら段取りをあれこれと考える。iPhoneで広島到着時間を調べる。四半世紀前の出張であれば,この時点で計画は白紙になっていたに違いない。まあ,便利にはなったのだ。

広島には10時前に到着する予定だったものが,この分だと10時半になりそうだ。1本でも早く新幹線に乗らなければならない。高田馬場から品川まで行き,ホームに着いたのぞみ号に乗り,席を確保した。

同じ便に乗り,広島駅で落ち合うはずだった方と30分遅れで合流し,在来線に乗り換えて会場近くの駅に降り,タクシーで会場まで行った。

会場のセッティングを済ませ,12時から1時間ほどの仕事。何とか終えた。

午後に入って2時間ほど会場であれこれと仕事をしていると,前日着で仕事をお願いしていた方の知り合いが船で厳島神社の鳥居まで行ってくれるという。その方の車でマリーナまで行き,船に乗り換える。1時間ほどのクルージング。風が心地よい。しかし強い西日だ。

駅まで送っていただき,同行者を広島駅まで送る。行きと同じように,来たのぞみ号に乗り,z卓に着いたのは23時くらいになっていた。何年か寿命を縮めたのではないだろうか,この一日で。

 

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