年末

しばらく前,日比谷野外音楽堂で開催される踊ってばかりの国のライブチケットをとった。発券されたので席を確認したところ,前のほうの真ん中あたりだった。ところが,年内に刊行予定の雑誌の進行が押していて,週末も仕事になることはほぼ確定している。しかたないので,娘の連れ合いにチケットを譲ることにした。

日比谷野外音楽堂で最初にライブをみたのは,シャレでP-MODELを復活した”error”シリーズの最初のときのことだったと思う。翌年,本式にP-MODELが解凍し,それも見に行った。そのあともなにかを見たような気がするが,ここ20年近くは仕事の取材で入るのがほとんどだった。

ここ数年,年末には華やかさよりも慌ただしさを感じることしばしばだ。

Stores

このところStoresに登録した本の動きがよい。とはいっても,日に1,2冊ほどではあるものの。

というエントリをアップしようとりしたらうまくいかない。サーバーの調子が悪いのかと思い問い合わせたものの,どうも違うようだ。セキュリティレベルを変更してみたものの様子は変わらない。

日頃使っているのはVivaldiで,多機能になるにつれ,ときどき調子のおかしくなることがある。その影響なのかもしれないと思い,他のブラウザでエントリをつくってみたところ支障なかった。Vivaldiの問題のようだ。

仕事でつくっているサイトではWordPressとPHPのバージョンを上げたところサイトダウンしてしまった。その後,復旧したものの,どうもWoocommerceとの相性がよくないようで,だましだましのようにして使っている。

バージョンをどのレベルで留めておくかの判断はむずかしい。人柱と表現されるくらいだから,アップデート直後には想定外のことが起きたとしても不思議ではないのが特別ではないことなのだろう。20世紀の終わりにWindows95で初めてコンピュータに触れた戦中派にとって,コンピュータは家電の一部であり,家電は初期不良どころか長ければ数年の動作補償があるものだという前提でとらえていた短くない時期がある。

会社のパソコンにウイルスソフトをインストールするときだったか,SCSIをつなげる必要があったときだったか,「そんなものが必要になるとは聞いていない」と言って,対応した上司が,前提を理解していない者に説明することがいかにむずかしいかひどく感じていたことを思い出す。

で,とりあえずStoresの動きがよいのでよかった話。

栃木

10時前に家内と家を出る。池袋経由で栗橋まで行き,東武線に乗り換えて栃木に着いたのは昼を少し過ぎた頃。

40年近く前,栃木や新栃木で途中下車をして,駅近くの古本屋で時間を潰したことが何度かある。だいたいは新栃木駅近くにあった古本屋に寄ったものの,栃木にも数回降りた。駅前は以前から閑散とした感じだったのかはまったく記憶にない。川沿いに昔風の家並みが続くあたりに本屋と古本屋があったことは覚えている。

何度も書くことではあるが,当時,古本屋がありそうな景色というものはあって,徹と古本屋を探してあちこちぶらついているとき,このあたりにありそうだな,とあたりをつけると,かなりの確率で古本屋に遭遇したものだ。

栃木駅前は広い道路が通っていて,なんだか寂しさを増長させているような印象だ。風は強いものの,日差しはあたたかい。少し歩くと,昔風の家並みが現れた。紙を売っている店に入り買い物をして,文学館まで歩く。

家内が中原淳一展を見たいというので一緒に出掛けることにした。13時半から学芸員による解説があったのでそれに間に合わせた。知らなかったのは,中原淳一がイラストやデザインだけではなく,出版活動を並行して行っており,数誌を創刊しては畳むという経験をしていたことだ。

市街地に戻り,遅めの昼食をとった後,駅まで戻る。19時前に池袋に着いたので,買い物をして帰宅。山手線内回りが昨日,今日と運休のため,埼京線で一度,新宿まで出てから外回りに乗り換えて高田馬場に着いた。

11/14

この1週間,DMを合計600通以上発送中。明日でほぼ終わる予定だ。挨拶文をつくり,住所録をまとめ,電話番号を確認しながら,不在で戻ってこないことはないかを確認する。宅配便会社のサイトにエクセルをアップして,宛名シールを印刷する。

挨拶文にチラシ,見本を同封して,宛名シールを貼り,封をする。この繰り返しだ。あ,郵便振替用紙をつくったので,通信欄に費目の判子を押す作業もあった。先週ときどき,週末も含めて家内に手伝ってもらい,めどがついた。私よりもはるかに家内のほうが手際よいのだ。

少し前の神保町古本まつりで手に入れた「宝石」69号,島田一男読本を読み続けている。1957年に刊行された雑誌を鞄に入れて読めるのだから大したものだ。

1957年,すでにデビューしてから10年目の島田一男について,中島河太郎が花井先生と塚原婦警シリーズを評価していて,「(島田一男が書く小説は)あそこにいかなくちゃいけないんじゃないかと思う」と発言している。方向は異なるものの,その後書かれた「湯の町シリーズ」には同じような可能性があって,それらはその後の「日常の謎系ミステリ」のはじまりのひとつでもあると思う。

Box

『マイク・ハマーへ伝言』特装版が届く。著者謹呈しおりが添えられている。

出口裕弘がパリを舞台にエクスパトリエートを描いた小説が何らかの役割を果たしたとするならば,それは『マイク・ハマーへ伝言』がエクスパトリエートたちを描いたことを気づかせてくれるくらいのものかもしれない。

本書の巻頭に掲げられたマンガ”Count me out”は,これまで矢作俊彦がインタビューのなかで幾度か語った幻の映画のためのシナリオをもとにしたものだという。当初,発表されたのは1970年1月,タイトルは改変され「焼けっぱちのブルース」となった。「日本短篇漫画傑作集2」に収載された際は一部手が入り,今回は,さらに描き換えられている。描き換えられたコマ,ページの線はやけに勢いがある。手塚治虫でさえ,晩年の線に勢いは消えていたことを思うと,こんな線で描かれた作品を読むことができるだけでも本書は貴重だ。

小説は1974年10月14日を描いたもので,最初は映画の資金づくりとの名目で文学賞に応募したという。結果,落選した小説をほとんどそのまま持ち込み,1977年末(奥付は1978年1月),ハードカバーで刊行された。

“Count me out”のなかで喪失したのものは松本茂樹と裕子,そして学生運動のきな臭さであり,そこでは登場人物に故郷喪失者としてのイメージはあまり投影されていない。一方,小説『マイク・ハマーへ伝言』においては,喪失したものが喪失した場の記憶を強固にする。ときに喪失した場の記憶が喪失したものに対する感情を置いてきぼりにしてしまうほどに。そして両者の喪失をつなぐものが車なのだ。

「何が本気なものか。これが本気なら人生は一場の悪い冗談だ」と吐露する英二はだから,喪失する前の場にとどまり,喪失する前のように振舞おうとするのだ。

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