7/5

シャワーを浴びてから出社するのをあきらめ,そのまま30分ほど眠ってしまう。支度をして出社。雑誌の下版。19時過ぎに退社。懸案がひとつかたづく。まだ,どれくらい残っているか数えてもしかたあるまい。高田馬場でブックオフに寄る。シング『西国の伊達男』ほか2冊を購入。雨が降ってきた。帰宅後,家内と夕飯。娘が帰宅。STORESに登録しようと準備をしたものの,明日にでもすることに。

家内の職場で,新型コロナワクチン接種がはじまり,キャンセルが出たとのことで,第1回目の接種を終えたとのこと。健康保険で申し込みのアナウンスがあり,区とどちらに申し込もうかと思っていたところ,ならば健保にしようかと考える。娘はまだ申し込みをしていない様子。

平井和正と平沢進について書き留めておこうと思ったものの,平井和正にまつわるささいな記憶で止まってしまった。80年代に多感な時期(というのか)を過ごしたので,類似でものごとをとられてしまう癖がある。町山,切通などJICC出版の影響ははかりしれない。しばらく前,類似させて何かを語った気になるようなことからは距離をおこうと思ったものの,気がつくと,何かと何かを類似させて悦にいってしまうようなことがある。

数週間前に書いたとおり,固有名詞にまつわる体験の共通性があるなかでは,類似させて語った気になる芸のような所作で場がもつことは少なくない。プロセスを端折っても誤読されることはほとんどないだろう。ただ,共通体験のようなものをもたないなかでする芸ではない。

そんなことを思いながら仕事をしていたところ,赤井公園のラストライブがブルーレイで発売されるとのニュース。

Known

ソロになってから30年を越えたというので,いまさら振り返ることではないと思うものの,平沢進がソロ活動を始めたあたりからの変遷をたどると,それはどこか平井和正に似ている。私が平井和正の小説をリアルタイムで追ったのは「真幻魔大戦」が始まる少し前,「悪霊の女王」が出てしばらくした頃だったと思う。

芳行はどうした徳間ノベルズが好きで,まあ,筒井康隆ファンだったから当然とはいえ,出たばかりの「悪霊の女王」を彼にしてはかなり褒めたような気がする。私はまだ平井和正の小説を読んでおらず,アダルトウルフガイシリーズが角川文庫にはじめて収載された「人狼戦線」を読んだくらいだったはずだ。以前,書いたかもしれない。

「真幻魔大戦」が始まり,「新幻魔大戦」が刊行され,「幻魔大戦」連載のアナウンスが出た。芳行は「人狼白書」を酷評した。私が「幻魔大戦」シリーズに手を伸ばそうとすると,「面白くないよ。それよりも『狼の紋章』『狼の怨歌』『狼のレクイエム』を読んでいないなら,そっちを読めよ」と的確な助言をもらった。的確だと気づくのは数年後のことだ。ザ・ビートルズを聴きはじめるならと尋ねると,すかさず「サージァント・ペッパーズ」,これも的確な助言だった。私は「レット・イット・ビー」や「アビー・ロード」を推さない彼の判断を訝しんだ。訝しむのが間違いだったのだ。彼はどれも,先に作品を体験した者として妥当な作品を選んで教えてくれたというのに。

その後,「地球樹の女神」がカドカワノベルズで刊行されたあたりに,もう一度,平井和正を読むことになるものの,その後は古本屋で見つけてはページを捲り,そのつまらなさにわずか100円でさえも出すことをしなくなった。2000年前後,どこに出張に行ったときだっただろう。夕食後に町場をぶらついて見つけた古本屋に「バチガミ」が300円くらいで置いてあった。曽根崎新地にあった3フロアくらいの古書店だったと思う。その地下のマンガコーナーだった気がする。ビジネスホテルに戻り,ビールを飲みながらページを捲る。メガビタミンだとか健康志向が鼻につく。「地球樹の女神」につながるテーマもあったかもしれないが,一缶空けて読み終えると,翌朝,本をそのままにしてチェックアウトしてしまった。

その頃の感覚をときどき思い出す。平沢進が今世紀に入ってから辿る紆余曲折は,どこか平井和正をトレースしているように思えるからだ。

週末

土曜日は,小雨になっていたので昼前,棚を押して事務所まで。先週,昌己が提案したとおり,上がり框の先に,自宅にあった移動式の棚を置き,本を並べることにした。大泉学園の家具屋で20数年前に買った代物だ。本をチェックして,並べるものに値付けしていく。14時くらいから原稿整理。来客なく,16時過ぎに帰宅する。家内と高円寺まで。野方でほとんど早めの夕飯という時間に昼食。SAD CAFEのいつもの席は埋まっていたので入口近くで。

高円寺行きのバスがすぐにくる。買い物をして醍醐でお弁当を買う。東中野経由で帰宅。夕飯をとり,踊ってばかりの国の配信ライブをみる。

日曜日も雨が小降りになってきたので本をカートに載せて事務所まで。荷物を降ろし,茗荷谷の会社に行く。すべき仕事を優先して,早めに退社。とはいえ,池袋のデパートで夕飯のおかずを買うのに中途半端な時間。ぷらぷらしながら,若干の値引きを目当てに調達。都議選の投票を終え帰宅。夕飯をとって,下津さんの下北配信ライブをみる。

熱海では大規模な土砂崩れが起きた。矢作俊彦は熱海に引っ越したのではなかった。とくに報道があるわけではないものの心配。

今朝は中山ラビの訃報。1983年だっただろうか。小岩のアパートに住む中学時代の友人宅に一泊させてもらったことがある。FM東京の番組の公録で,加藤和彦が当時,プロデュースした中山ラビ,大空はるみ,梓みちよのライブだった。バックはほぼムーンライダーズに美尾洋乃もいたはずだ。

このとき聴いた「スローモーション」がとてつもなく恰好よかった。こっそりウォークマンで録音した音源が,その後,FMで流れた音よりもはるかによかった。それにしてもどうしたわけで,公録を録音しようなどと思ったのだろう。

国分寺まで歩いて20分くらいのところに徹が住んでいた頃,ほんやら洞に何度か入ろうとしたものの,タイミングが悪く,結局,一度くらいしか入ることはなかった。まだ,中山ラビが店主でなかった頃かもしれない。GOK SOUNDがあった頃なので。数年前,お世話になっているイラストレーターが陶芸家の個展の際,アコースティックライブを見に,昌己夫妻と国分寺まで出た。家内,娘も一緒だった。そのときは中山ラビが店長だったはず。とはいえ,ここでも混んでいて入れずに,駅のほうに上がった小洒落たビルで夕飯にしたと思う。

加藤和彦がプロデュースした3枚のアルバム,特に「MUZAN」は名盤だと思う。公録ライブは最後,4人がステージに上がり「リリー・マルレーン」で閉められた記憶がある。下津さんの“Bird Song”がデヴィッド・ボウイの“Life on Mars”のオマージュだとすると,加藤和彦の「ハリーズ・バー」もそうではないかと思ったところに,「リリー・マルレーン」を歌ってみたら,なんだか“Life on Mars”っぽくなってしまう。結局,もとをたどると「リリー・マルレーン」なのだろうか。

いや,私が歌った「リリー・マルレーン」はサビだけが「リリー・マルレーン」で,その前は違う曲のような気がしてきた。

7/1

雨。偏頭痛気味。少し遅れて出社。18時過ぎまで仕事をして退社。雨が非道くなる。日高屋で休憩したところ,眠気が襲ってきて,2/3以上眠ったまま山手線を一周してしまう。家内に頼まれたものを買って帰宅。夕飯をとり,テレビを観てから眠る。

梅雨というよりも雨季といったほうがよいような非道い雨降り。いきおい体調は芳しくない。

徹から事務所(賃貸?)祝いが届く。先週の土曜日,伸浩,昌己からもお祝いをいただいた。うれしいとともに皆,社会性を身につけているのだなあと感慨一入。週末土曜日は事務所を片づけ,さすがにそろそろ電気を使えるようにしようと思う。会社まで行くよりも,意外と仕事が捗るので,進行中の本のゲラをもっていくことにして。

6/30

残りの請求書を出して,原稿整理しながら新刊の素読み。19時過ぎに退社。高田馬場で降り,元ワインバーが場所を変えて再開した店まで歩く。フルーツサンドを買おうと思ったものの,一時中止にしているとのことで,パンと焼き菓子を買う。芳林堂書店で,短編漫画何とかというシリーズの第2巻を購入。ダディ・グースの「焼けっぱちのブルース」収載。あ,サイト更新しておかなければ。帰宅してマンガを読む。北杜夫がドビュッシーのライトモチーフに影響を受けて『幽霊』を書いたことを思い出した。矢作俊彦の小説のライトモチーフをダディ・グース時代の作品まで辿る作業を評論家はすべきだろう。

このところいつの間にか抱えこんでしまっていた厄介事への憂慮は,「焼けっぱちのブルース」を読み,すっと軽くなった。

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