自由


最近読み返して笑っちゃったんですが,「自由というものを政府で買い給もう。これを庶民に分けてくださる」と。その自由というのは何かというと,得手勝手をすることだと書いてある。明治の初年です。自由というのはリバティの訳語で明治以来のことばのように思われているんですが,この自由ということば自体は江戸時代からあった。それが得手勝手という意味なんです。だからリバティということばを自由と翻訳したとたんに,リバティが得手勝手に変わっちゃうんだ。戦後に起きたことも同じですね。こういう話をして申し訳ないんですが,ぼくはどうしてもその自由というのがわからなかった。
自由ということば自体は知っていたけれども,戦後二十歳で,民主主義とか自由が大事だという観念をはじめて学ぶわけでしょう。それで自由って何だろうと考えるんですが,どうしてもよくわからない。それでルソーの『孤独な散歩者の夢想』の最後に近いところに「自分はしたことをする自由なんていうことについては考えたことがない」と書いてあった。びっくりして,それじゃ一体自由って何だろうと思うと,「したくないことはしないという自由について自分は考えてきた」と書いてある。それを読んだときに,はじめて自由というのがわかったという気がしましたね。つまり自由というのは奴隷の主張であって,NOと言うには自分の死を賭けなければならない。しかしそれでもNOということを選ぶという,そのことが自由であると。ところが明治年間は政府が買い給もうて,それをみんなに配ってくださる。1945年の敗戦後も同じでしょう。だから自分のからだのなかでどうも納得できないといった場合に,自由とか自主ということばとの戦いのなかで,それをひっくり返していく,それが身体感覚の回復であって,受けとって吟味していくことが大事だと思います。
竹内敏晴<鼎談>身体感覚をとり戻す,環,Vol.7,2001.

東浩紀と大澤真幸の『自由を考える』(NHKブックス)を読み直していて,よみがえってきたのが竹内敏晴さんのこの発言だ。

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