中間小説


結城昌治や三好徹の小説を通勤途中に読んでいると,読書が娯楽であると思いはするものの,それは高性能水洗トイレよろしく,読んだそばかたっぱしから忘れてしまう。

帰りに古本屋で「新潮」を見つけたので,手に入れて捲っていたところ,「フィルムノワール」の冒頭で,同じ文章でもここまでなぜ違うのだろうと思った。ツイート眺めていると,かなり集中して書いていらっしゃるようで,描き出したい映像がとにかく溢れているのだろな。

先日,千葉の父のところへ行った帰り,森詠を買って読み始めた。昔,矢作俊彦を読み始めた頃,さかのぼって文献を探しに古本屋の棚を眺めると『真夜中の東側』がしばしば並んでいた。関川夏央の文章は漫画原作とともに,もしかしたら面白いかもと何度か手にとったものの,当時から矢作俊彦の文章は圧倒的に巧みで,いまだ代替できるものはない。

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