フィルムノワール


昔,何かの雑誌のクロスレヴューで高見順の娘が,『マイク・ハマーへ伝言』を読み,三人称で一人称のように語る文章が印象的だと書いているのを読んだ記憶がある。当時すでに単行本刊行後,20年以上は経っていたのではないだろうか。

『フィルムノワール/黒色影片』を読み終えた。前半は連載の印象をトレースしながらページを捲ったが,全体の半分あたりからがらりと印象が変わった。連載のときは唐突な感じがした調布での宍戸錠だったが,香港で再登場したあたり。そこから物語は一気にピークに向かう。終盤は『真夜中へもう一歩』と『THE WRONG GOODBYE』と重なる感じがした。

展開は,ページを捲る時間が惜しいくらいのスピードなので,すぐに再読するのだからと,こちらも飛ばし気味で読み終えた。

再読しようとして,結局,『神様のピンチヒッター』をしばらくぶりに読み返すことになった。それも「抱きしめたい」を飛ばして,「夕焼けのスーパーマン」から「王様の気分」へと進む。

そこで,高見順の娘の言葉を思い出した。『リンゴォ・キッド休日』以前の矢作俊彦の小説の文体は,三人称なのだけれど,たとえば『マイク・ハマーへ伝言』のような文体はまだ,選択されていない。1972年から年を経るごとに一人称っぽい三人称が様になり,物語のなかで一人称っぽい三人称が占める割合が増える。そう理解して,読み返したところ,初期の中篇小説がこれまでに増して面白かった。

『フィルムノワール』の依頼人,Twitterだったか,エッセイだったかで,名取裕子の膝を同じように形容していた記憶があるのだけれど,宍戸錠を含めて,肉体を持たせる必要はないと思う。

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