洗脳


昼から家内と高円寺にでかける。野方経由で北口まで行く。座の市をひやかし,高架下から南口の東側に出て少し下りPalのほうに入っていった。昼食は高円寺Rainbow。古着屋などを見るという家内と別れ,古本屋をめぐる。近藤書店で『看護婦の歴史―寄り添う専門職の誕生』(山下麻衣),アニマル洋子で『洗脳の楽園―ヤマギシ会という悲劇』(米本和広)を買う。家内と待ち合わせて北口へ。ハチフナットに入ったところ混んでいて,二階のロフトに案内された。かなり急な階段を上った天井裏のような席。しばらく休憩して,少し先に出る。中央書籍で『山折哲雄セレクション 「生きる作法」 2 生老病死の人生八十年』(小学館)。駅で娘と待ち合わせて,メウノータで夕食。野方経由で帰る。

米本和広の『洗脳の楽園』は刊行されたときからずっと気になっていたものの,読む機会を逃し,そのうちなんだか読んだ気になっていた本。80年代の初めにあれこれ経験すると,ヤマギシ会と原理研,エホバの証人,自己啓発セミナー,新興宗教,マルチ商法は,どうしても同じカテゴリーでくくってしまう。

とにかく近寄らないに越したことはないのだけれど,友人・知人を経由して直面せざるを得ない状況になる。この前買ったきたやまおさむとよしもとばななの対談集で,きたやまが「精神分析は無意識を認める」というような表現をしていたのだけれど,これはつまり「無意識にも意味がある」ということの言い換えで,それまで「無意識にやってしまったことだからすまん」で済んだはずのことにいちいち意味を付ける,まあほとんどが「解釈」するわけで,困っている本人にとっては助け舟とはいえ,おせっかいな所作であることに変わりはない。

とりあえず逃げ場所を確保する。そうしておかなければ,世の中と不用意に向き合っていたら,搾取されておしまいになりかねない。80年代からこっち,結局,その手の話がずっと続いているように感じる。

で,繰り返しになるけれど,その根幹にあるのは洗脳技術(気持ちの悪い表現だ)で,それは第二次世界大戦後,朝鮮戦争を契機に発展(というと語弊がある)した。大戦中のナチスなどで用いられたのだろうけれど。それまで,英国がアヘンなどを通して人,集団,国家を手中に収めようとした技術から,それは数段進歩(ああ嫌だ)したものだ。

今もそうした技術や,技術を伴わない言説は幅を利かせていて,とにかく「他人のことにつべこべ言うな」といいたくなることしばしばだ。この手の技術に関心ある奴は,得てして「対象論」「解釈」に陥りやすいというか,なだれ込みやすい。それは右・左問わず。

で,「お前もな」といわれたあとの沈黙。

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