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10時過ぎ,事務所に着く。メールを何本か打ち,午後から新刊贈呈の続き。50人に送る準備を終えた。台車でポストまで運ぶ。17時前に仕事を終え,新大塚で下車し,大塚のブックオフを覗く。ハイデッガー『技術への問い』(平凡社)を700円で購入。池袋で休憩。家内と待ち合わせてパルコで店を眺めながら夕飯の店を探す。娘も合流し,20時過ぎに食べ終えた。入ったときと同じように店を眺めながら帰る。寒い。年明けに買った(買ってもらった)VANのブルーのステンカラーコートが暖かくて助かる。

仙台で手に入れた斎藤貴男の本がまだ読み終わっていない。にもかかわらず,ディックの『テレポートされざる者』を読み始め,ホイジンガの『朝の影のなかに』のページを捲った年末。いずれかを読み終えるはずが,それらをさておいて水上勉『飢餓海峡』を読み始めてしまった。しばらく前,文庫本上下巻の上巻だけを手に入れていて,下巻が見つかったら読もうを思っていたのだけれど,文庫一巻本を見つけてしまい,結局,そちらを読み始めてしまったのだ。

『飢餓海峡』は昔,萩原健一主演のドラマを見たものの,ストーリーはうろ覚えではっきりしない。社会派推理小説だと思って読み始めたところ,広義の犯罪小説ではあるとはいえ,作者自身に推理小説を書く意図がないことは2/5くらいまで読んだだけでもわかった。

函館に出かけたとき,洞爺丸事故を題材にした小説として『虚無への供物』と並んでいるのを見て,どうしたわけか『飢餓海峡』を読みたくなった。水上勉の小説は少し前からぽつぽつと読み始めた。ただ昭和30年代に書かれた推理小説中心で,他は『くるま椅子の歌』を斜め読みした程度だ。

以前書いたはずだけれど(このあたりにも),記者をめざして新聞社に入ったが整理部に配属されて嫌気がさし,業界紙の記者の傍ら月刊誌のアンカーマンのバイトをしていた上司がいた。山形生まれで早稲田を卒業した彼は,いつも三つ揃いを着て,煙草をふかしながら記事を書いていた。まだ40歳そこそこだったものの,20歳を過ぎて世の中に出たばかりの私にとっては十分大人に見えた。

昭和最後の年,バブルに沸いていた世の中を後目に,40歳の彼は,その頃,寺田虎彦のエッセイと高橋和己,水上勉の小説を読んでいた。四半世紀前のちょうど今ごろのことだ。高知でのライブから戻ったアパートの留守番電話に彼の訃報が入っていた。私が退職した後,しばらくしてから広告代理店に引き抜かれた彼が過労で倒れた。「寝たきりだ」と,彼と同郷の印刷屋の主人から聞いたのは前の年のことだったと思う。

「そろそろ帰ってあげればいいのに。医者相手の本なんてつまらないだろうよ」,印刷屋は,2年前に辞めた業界紙に戻ったらどうかというのだ。有楽町ガード下の小松で待ち合わせて飲んだ気がする。「彼はとうとうこの前,倒れてしまったって。小学生のお嬢ちゃん,かわいい盛りなのにさぁ」。(続きます)

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