ガチャ文


1982年から翌年にかけて,平井和正の小説がさまざまな形で書店に並んだ。そのとき,角川書店が中心となったメディア戦略は禍根を残したが,その最たるものが,一周ぐるりとまわって起きたオウム真理教事件だったように思う。ただ,その多くは角川書店に焚きつけられた徳間書店に由来する。

『人狼天使』で昔からのファンに冷笑を浴びた平井和正が,まるでそれに逆襲するかようなかたちでメディアを席巻したその数年,それはそれは妙な時代だった。ただ,この時期に平井和正の小説を読んでいたおかげで,1984年あたりから学校やアルバイト先,家族の知り合いに自己啓発セミナーやマルチ商法に絡め取られる人が出てきたなかでも,自分が大けがすることなく,できうる対応をとれたように思う。もう一方で,同じ時期に徹や昌己と出会ったことが大きかったのだけれど。

1970年代から続く大学などにおける原理研活動と,それと同様に報道された「イエスの方舟」事件。いくつかの新興宗教をめぐる問題。それらが起きたのは平井和正が『真幻魔大戦』『幻魔大戦』の連載を開始した時期と重なる。洗脳と動員がビジネス化してしまった時代だ。労働力としても経済的にも奉仕することを厭わないばかりか,よろこんで動員される。そうしたビジネスは折々に批判を受け,消えるかのようにみせながらもいまだ続いている。ビジネスなら裁くこともできるだろうが,他者を操作しようとする欲望は裁けない。どうにかならないのだろうか,まったく。

にもかかわらず,『幻魔大戦』シリーズがあまり批判にさらされなかったのは,若干のタイムラグを置いてウルフガイ,アダルトウルフガイシリーズを文庫のラインナップに入れ込んだ角川書店の戦略が大きかったのではないだろうか。1980年時点で「ゾンビーハンターシリーズ」はすでに角川文庫に収載されていたし,『幻魔大戦』のスタートよりも『悪霊の女王』の続編への期待のほうが当時は高かった気がする。トクマノベルズで『悪霊の女王』がまとまったとき,SF好きの友だちの間で話題になったことを思い出す。

『悪霊の女王』を完結させぬまま,10年前,マンガの原作としてまとめられた『幻魔大戦』を始めようというのだ。当時のインタビューか対談では『悪霊の女王』も『幻魔大戦』につながるかもしれない,などと発言していた記憶がある。しばらく後にその記事を読み返して「松本零士と一緒だなあ,まとまるわけないや」と思った。でも,1982年前後にはやけに“大きな物語”への期待が高まった時期があったのだ。すでに未完の作品を連発していた平井和正に,読者は,これまで読んだことのない物語の終わりの高みのようなものを希求していた。

『幻魔大戦』『真幻魔大戦』は,おそろしいことに順調に巻を刻んだ。『真幻魔大戦』はまだしも,角川書店の『幻魔大戦』は4巻以降,新興宗教教祖伝記のような体裁になっていった。にもかかわらず,禍根は徳間書店を舞台に展開された。時おり刊行されたAB判平綴じの「SFアドベンチャー」別冊「幻魔宇宙」がそれだ。

後に,Webを通して素人の書評を目にするようになるが,この当時,「幻魔大戦」以外で,素人の書評を読むことはほとんどなかった。「幻魔宇宙」では読者からの書評,感想を募集していて,毎号,かなり小さな級数で組まれた文章が何ページもにわたって掲載されていた。それは何に似ているといって,NHKの「おしん」視聴者が勝手な想像を新聞に投書した,フィクションと現実を分けて言語化できない文章に瓜二つだった。時代だったと言ってしまえばそれまでだ。しかし,おまけにこちらは『真幻魔大戦』が徳間文庫に収められると,巻末の解説でそうした文章を読まされる。たまったものではない。

角川書店はそうした過ちは犯さなかった。あくまでもソフィスティケートな形で,間にアニメ映画をはさみながら進めた,何せ,角川書店には角川春樹がいた。残念なことに徳間書店には角川春樹はいなかった。あげく,角川春樹は徳間書店刊の「幻魔宇宙」に出張ってきて平井和正と対談してしまう。そういうことは「野性時代」ですればよいのに。

平井和正みずからが仕向けたかのように映る,徳間書店での読者登用は一部で求心力を高めることにつながったものの,まあ,ほとんどが“信者”だから批評ではない。解説は推薦文(まるで自己啓発セミナーで語られるセミナーの効用のような)に堕し,「前世少女」まで現れてしまった。やっかいなことになったのは誰の目にも明らかだった。

そんなとき,平井和正が「ガチャ文」と称して,その手の文章を批判しはじめた。慌てたのは“信者”だ。自己批判,他者批判が起こり,その真意をあれこれを推測しはじめる。後に平井和正は,『幻魔大戦』は新興宗教批判として書いたとうそぶいていたけれど,小説の外で展開されていた図式は新興宗教そのものだった。何かになりたかったのだろうなと思う。

当時の徳間書店については,その一部について大塚英志が新書一冊を通して記録に残しているが,同じ時期の「SFアドベンチャー」の顛末を読みたい。1960年前後のCBAに近い雰囲気があるのではないかと思うのだけれど。

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