ホイジンガ


花粉症の真っ只中。

年明けに筋金入りのアマチュアフォークミュージシャンと打ち合わせした単行本企画がスタート。今週から会社に詰めて,改訂版の原稿作成にかかわってもらっている。10時~17時で,そのことだけをお願いする。私は,こういうふうに他人から仕事を頼まれることはないだろうなあ,と思いながら,通勤時間に平井和正『真幻魔大戦』をまだ読んでいる。舞台がニューヨークに変わってから,ますますメリハリがなくなってきたような感じがする。刊行時に読んだ記憶はすっかり失せているので,この時期の平井和正のアラが目についてしかたない。

Zineどころか,週末のみちくさ市の準備をまったくしていない。土曜日の午前中は仕事の打ち合わせだから,半日で済ませることになりそうだ。

年末年始に,ホイジンガの『朝の影のなかに』を捲っていた。SNSに留めた抜き書きを貼り付けておく。

私がオプティミストというときに、それは、おそろしいほどまでに堕落と腐敗を示す数々の徴候にとりかこまれながらも、明るい調子で、まあ、それほどわるくはないさ。みんなけっこううまくいっているさ! と叫ぶ手合のことではない。よくあるほうへとむかう道がほとんどみつからないばあいでも、なお希望を失わない人のことを、私はオプティミストと呼ぶのである。

科学の誤用ということについての判断は、直接、人間の生命をほろぼし、大量に財貨を破壊する手段の開発を問題にするばあい、いっそう批判の牙をとぎすます。この文章の筆者たるわたしは、けっして絶対無抵抗主義を標榜するたぐいの急進平和主義者ではない。人を殺すことは否定する。だが、それでは個人の正当防衛とか法秩序の維持とかについてはどう考えるかといわれれば、わたしは判断を保留する。いや、それどころではない、国民はその祖国に仕え、軍事義務の命ずるところにしたがって人を殺し、みずからも生命をすてる用意がなければならないとわたしは確信しているのだ。しかしながら、なおかつ、わたしはこうおもう、もしも選択せよということであるならば、人類全体の過誤の上にのっかった少数者の生存という事態よりは、むしろ自由意志にもとづく全員の死滅がえらばれるという、そのような状況も考えられるのではないかと。
(中略)
だが、しかし、いったいなぜここまできてしまったのか、歴史上ありとあらゆる文明が、高次低次の別を問わず、これは神のはたらき、あるいはまた運命の、デモンの、自然のはたらきとみておそれたような作用をもたらす手段を使って、科学のたすけをかりて、なぜ、人間同士たがいに戦いあわなければならないのか。この世界を存立せしめる第一原理をあざわらう悪魔の嘲笑がきこえるではないか。それくらいならば、わたし罪深い人類は、おのれじしんの無価値性のうちに没落していってしかるべきであろう。

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