1984

父親が運転するカリーナでその家に引っ越しをしたときから,ものすごい勢いで知らない世界が目の前に拓けた。1984年4月のことだ。それから半年間に遭遇したことのほとんどが,その後の私の間の抜けた芯のような何かになっているに違いない。そのことを懐かしく思うくらい頽廃してしまったのはいつ頃からだろう。

それでも,同じことを繰り返したいとだけは一度たりとも願ったことがなかった。

このところ喬史とメールでやりとりしている。1984年とはまったく違い,固有名詞が飛び交わない,せいぜい形容詞代わりに“市原悦子”が登場するくらいの大人しいものだけれど,30数年後,まさかこんなふうにこ奴と連絡とっているなんて想像しなかった。目の前のばかばかしさが精いっぱいで,30年後どころか数か月後のことだって考えてもいなかったのだけれど。(加筆予定)

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