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花粉症のためなのか気圧のせいなのかわからないが,体調があまりよくない。細かな仕事を片づけながら,インタビューデータを文字起こしする。Googleドキュメントの音声入力を試してみようと思い,パソコンの録音/音声出力のセッティングを変更してみた。が,音声がうまく反映されないので,Okoshiyasu2で聞き取りながら進めている。

19時過ぎに会社を出て,高田馬場で休憩。半村良の『小説 浅草案内』を読み終えてしまおうと思って店に入った。残り1篇と少しのところで店を出て,ブックオフで本を買って帰る。喬史からメールが届き,探偵事務所の広告デザインが決まったとのこと。デザイナーに頼んだようで,色のトーンが絞られていい感じにまとまっている。寝る前に『小説 浅草案内』を読み終えた。

『小説 浅草案内』を書いた当時,半村良は50代で,時は昭和の終わり。20代の私にイメージできる50歳といえばよいのか,昭和60年代の20代が思い描く50代といえばよいのかわからない。全体,そんな印象だ。1970年代に書かれた『下町探偵局』と断絶をほとんど感じないから,強く漂うのはたぶん,生まれた時代による世代感なのだろう。少なくとも,50代を折り返そうかという今の私にとって「同じ50代」でくくることができない雰囲気であることは確かだ。

和之から連絡があり,年明けに会った後,体調を崩していたようだ。具体的な話は今度の飲み会ですることにして,すでに健康上,何が起きてもおかしくはない年齢になったのだなあと感じる。この30年,学生時代の友人の訃報に接することは幸いにしてなかった。それでも『マイク・ハマーへ伝言』の雅史のセリフ「人間なんて死んでいるほうがあたりまえ,生きているほうが不思議」を思い出す。

このところ,「デジタル野性時代」を少しずつダウンロードし,矢作俊彦の「ルッキン・フォー・ビューティ」を読み進めている。ここ10数年の作品は込み入っているため,前後関係を整理しておく(後で掲載年については確認)。

2005年,雑誌「ENGINE」に「引擎 engine」を連載。その後の作品に用いられるいくつかの場面はこの作品に登場する。1年近くかけて連載を終えたものの,大幅加筆され単行本化されたのは2011年(増刷で,また文庫化された際にもさらに手が入る)。

2008年,「野性時代」に「チャイナマンズチャンス」を連載。出だしはチャンドラーの『大いなる眠り』を換骨奪胎したものなので,『Wrong Goodbye』に続く位置づけで始まったのではないだろうか。数回目から「引擎 engine」のエピソードが援用(便利な言葉だ)される。ところがそのようにして進んだところで,物語は突然,「(小説版)気分はもう戦争」(個人サイトで一部連載)中心に展開(転回?)し,二村永爾ものからゴロウ・フジカワものに変わってしまう。物語の間をつなぐエピソードや場面には「眠れる森のスパイ」や「犬には普通のこと」が用いられる。

2011年,「デジタル野性時代」で「ルッキン・フォー・ビューティー」の連載がスタートする。出だしは『さらば愛しき女よ』からもってきて(タイトルからしても),しかし,そこに「チャイナマンズチャンス」の『大いなる眠り』をつなぐ。『さらば愛しき女よ』は『あ・じゃ・ぱん』で用いていたためだろうか。冒頭以外,物語の流れは「チャイナマンズチャンス」の前半を踏襲しているため,「引擎 engine」のエピソードが同じく援用されている。(1/4程度まで読み進めたところ)

2018年,「新潮」に「ビッグ・スヌーズ」が新連載。今度こそ,本式に『大いなる眠り』を描く予定なのだろう。「チャイナマンズチャンス」冒頭=「ルッキン・フォー・ビューティー」の途中から始まった以外(場所の位置関係は変わっている),オリジナルの展開で進む。チャンドラーの『大いなる眠り』を参照しながら,これまでとは違い,登場人物の設定も一部変更されており,今後の展開がとにかくたのしみだ。

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