他人のままで

20歳の頃,アルバイトしていた精神科で,ある日の早朝,入院患者さんが亡くなったときのことは何度か書いたと思う。最初のときは,データをアップするところで不具合が起こった。残すはずだった文章はすべてなくなってしまったので,書いたにもかかわらず,旧サイトのその日には,データが飛んだ痕跡しか残っていない。

Cueさんは眠れないので,消灯時間後,ホールで煙草を喫っては部屋に戻る。ときどきナースステーションを訪れて,「眠剤出して」と一言。日によっては考えがまとまらなくなってしまい,看護師さんの間では「不穏になる」と申し送られていたけれど,そのときはそんなことはなかった。医師からの指示分はすでに渡されていたので,偽薬で対応するしかなかっただけのことだ。

「眠れない」というにもかかわらず,目の下にはクマができている。眼球も充血しているように見える。0時を過ぎてナースステーションを訪れる回数が増えてきたので,2,3度,病室まで誘導した。精神科医には畳敷きの病室があって,6人くらいが修学旅行のように2列になって眠るのだ。Cueさんの病室も畳敷きだった。入院期間が短ければ耐えられるだろうが,数年から数十年,こうして暮らしている人が何人かいた。

明け方にはまだ早い午前3時頃。巡回に出ると,フロアのテーブルにCueさんが座っていて,煙草をふかしていた。あれだけ言ったのにと思いながら,「眠れませんか」と言葉をかけたような気がする。「この時間なので,無理しなくてもよいかもしれません。ただ,煙草の火にはくれぐれも気をつけて」,そんなことも加えたはずだ。

Cueさんは煙草を消した。「あなたはいい人だ。ぼくが死んだら守護霊になって守ってあげる」。

その2時間後。急に循環器系の調子が悪くなり,Cueさんは亡くなった。処方される薬でからだへのダメージは積み重なり,そのときに限界がきたのだという。

このことは20代にも思い出したし,30代,40代にも年に一度くらい記憶が蘇ってきた。

この前,久しぶりにCueさんのことを思い出して,でも,当時40歳前後,眠りたくても眠れず,煙草を喫いながら時間と闘うのはどんな気持ちなのだろうか,と想像した。眠れないのに眠れを促す他人を「いい人だ」と言い,死んで後,守ってあげるとまで伝えるのは,どんな気持ちだったのだろう。私にはなにひとつ想像できなかった。というか,これまで,そんなふうにCueさんのことを考えたことがなかった。そのことに戦いた。

私にとっては肉親以外で,また,肉親よりも早く,その死とじかに直面したはずの人について考えることはできなかったな。

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