石森章太郎


会社帰りに『『完全解析! 石ノ森章太郎』(宝島社)を購入。池袋で家族を待つ間に読み始めたら,ページを捲る手が止まらなくなってしまった。前半では水野英子へのインタビュー記事が反則だ。涙腺が緩んでしまってしかたなかった。

「サイボーグ009」はテレビアニメで見ただけだったけれど,それでも印象は強烈だった。石森章太郎のマンガに初めて触れたのは,友人の家で「ぼくらマガジン」に連載中の「仮面ライダー」を読んだときだった気がする。

それから1977年くらいに至る5年間の空白は,取り戻しようのない時間だと,当時も今も感じる。週刊少年キングで『ギルガメッシュ』の連載が始まる少し前,『ドッグワールド』の後半あたりの頃,家から自転車で20分くらいかかる団地にできた小体な書店に『サイボーグ009』が並んでいるのを見つけた。1巻から買わずに3巻ベトナム編を買って読んだ。その書店で5巻までは五月雨に買って読み,朝日ソノラマから出た『サイボーグ009その世界』『ジュン』も取り寄せてもらった。

多羅尾伴内』が「週刊少年マガジン」で始まったあたりから,リアルタイムで石森章太郎のマンガを読むようになった。いつも飢えとともに新しいマンガを読み続けていた頃のことを思い出す。こんなはずじゃない。もっとすごいマンガが描かれるはずなのに。

同じ頃,古本屋で探しては,1973年くらいまでに描かれた石森章太郎のマンガを読み始めたので,リアルタイムで発表される石森章太郎のマンガには違和感が付いてまわる。友人たちは松本零士や水島新司,新人だった頃の江口寿史や鴨川つばめ,週刊少年ジャンプの連載漫画家,少女漫画家などなどを読んでいく。石森章太郎からそれでも離れられない私にとって,最後の切り札は「天使編」の続きだけだった。

しかし,週刊少年サンデーで「サイボーグ009」の連載が始まる頃には,それさえも切り札にはなり得なくなっていた。「黄金の三角地帯編」のラスト,ブラックゴーストの幹部(スカルのような出立の)がゴビ砂漠の方に脱出する後のコマに,「009たちがその後を追っていれば,後の最後の闘いは早まったかもしれない」(というような)一文を見せて「すごいことになるかも」と言っても,友人は「まだ,そんなことやっているのか」と一笑にふす。言った私自身,このまま「天使編」の続編描かれてもなあと不安なのだから,言い返すこともできずにいた。

1980年代半ばになると,リアルタイムの作品に見切りをつけ,旧作,だいたい1968年から1973年あたりの作品を探しては読む日が続いた。だから,私にとって石森章太郎のマンガの凄さを示しているのはその頃の作品だった。曰く,コマ割りの凄さ,線の色気,作品のテーマの先見性などなど。

ところが石森章太郎の死後,1964年以前のマンガを読み返して,その実験性に初めて魅入ってしまった。(つづきます)

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