1979

1978年の政治的言動といえば,せいぜい「さらば宇宙戦艦ヤマト」のラストが特攻賛美だとか,その程度で,ただ愛がなんたらかんたら言うのだけは後から付けた理屈だというくらいは,それでも判った。

という下書きがWordPressに残っていた。続きを書こうにも,何がどうしてこうなったのか,すっかり忘れている。矢作俊彦風(というか,お友だちのポンセ君だっかた風)に言えば,1970年代ではなく,昭和50年代で区切ったほうがいいな,くらいは続けることができそうだ。と書きながら,ああ,東浩紀が座談会で,おたく世代の政治性について述べていたことに,腑に落ちることがほとんどなかったとき,記憶を引っ張り出そうと思ったのだ,と思い出した。ああ,しんどい。

昭和50年代のサブカルチャーにおける政治性。なんだかむりやりで,とってつけたようなタイトルになってしまう。政治っていったって,当時の10代には,日本は沈没してしまったし,1999年には何がどうなるかわからないし,そうしたサブカル文脈で追ってしまうと,政治による改善に有効性を覚えるよりも,もっと暴力的な力にどう立ち向かうかに関心が向かったことはしかたのないと思う。P-MODELが天秤から降りたのだってしかたのないことだ。

1968年の後,パチンコ屋で自己批判しかできないどこかの国の元学生たちと,ミッテランを擁立し,エリーゼ宮に駆け上った現実的なフランスの学生たちを並べて,シニカルに矢作俊彦は語った。

英国と米国でパンクが生まれたとき,「あんたが悪い」のその先どころか,「あんた」さえ描くことができない元学生たちは,ただ,パンクが生まれ得なかったことへの自覚くらい当時からあったはずだ。

昭和50年代のおたくは,政治で解決する類の問題,問題を解決するための政治に関心がなかったのではないだろうか。解決しようのない問いを立てて,それにどのように挑むか。おたくの関心は,そちらに向かった気がする。それは,だから政治性とはいえないと思う。

で,1979年に何が起きたか。

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