物語

渡辺一史の『なぜ人と人は支え合うのか』をとぎれとぎれに読む。

5年ほど前のポストに『こんな夜更けにバナナかよ』と題したものがあり,それは同書が文庫になったときのもので,そこにはさらに遡ること7,8年前のポストのリンクが貼ってある(ここ)。

『なぜ人と人は支え合うのか』の途中,『こんな夜更けにバナナかよ』の第2章と同じように書かれた箇所が出てきて,そのことを思い出した。この2冊のなかで,どうしてもわからないのは「なぜ,ボランティア」になったのか? という問いと,その回答のようにしてまとめられた,一人ひとりの物語が示される箇所だ。『こんな夜更けにバナナかよ』にそのような箇所があったかどうか覚えていないものの――たぶん,なかったと思う――,むしろ,ボランティアになろうとしたけれど,数回でこなくなった人や一回でこなくなった人に同じ問いを投げかけたもののほうが読んでみたい。

それでも,こぼれ落ちてしまうさまざまな「理由」があると思う。まして,ボランティアを続けられた人々にはその証しが刻まれている。個々の物語を通して,証しを強固にしても,初手からすばらしいゆえに,なんだか鼻白んでしまう。

ただ,著者が執筆に際して真摯なところは一貫していて,たとえば1970年前後に起きた(という)障害者の社会運動について,文献などをとおして示す箇所で「だったという」と伝聞であることをきちんと書きとどめている。1968年生まれの筆者にとって,当時の記録は,みずからの体験に刻まれているとはいえないものであることを,読者にわかるように伝える文章は貴重だ。

若手の研究者がしばしば「であった」と断定しがちなのに比べるとなおさらに。

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