補助線

年明けから20時以降の帰社続きだった。夜に読書会があるので,取り急ぎの仕事を片づけ,18時半くらいに会社を出る。読書会は翻訳者もいらして,久しぶりの参加だったものの面白かった。神楽坂まで歩き,東西線で高田馬場まで戻る。ザ・ハンバーグで夕飯をとる。ここに入ると,ムトウやタイムやレコファンを覘き,本屋,古本屋をまわった後にたどりついた平成初め頃の何度もの夜を思い出す。ブックオフで108円2冊購入して帰る。

大塚英志の新書は数十ページ読み進めた後,最初から読み直す。矢作俊彦の『フィルム・ノワール』を読むときの補助線にいいなあと思った。本人はまったく意識していないだろうけれど,大塚の仕事は結果,矢作俊彦の小説を読む参考になることが少なくない。

読み返したあたりにまとめられた第二次世界大戦中の技術者(とはここには書かれていないものの)が動員される様子は,武谷三男の技術論を読むときの補助線にもなりそうだ。ただ,技術論をもとに,果たして動員にNo!を突きつけることができたか考えると,どうなんだろうというのが正直なところだ。いや,今日さえも。技術を手段体系ととらえてしまうと,転向とは違ったかたちで,技術が戦前から戦後を橋架する様子が露わにされるかもしれない。でも,それじゃ当事者はたまったものじゃないよな。

さんざん「主体性」と問うてきた大塚なのだから,論陣をはるならば,ここは技術を主体が適用する法則性ととらえてもらいたいものだ。まあ,このところの大塚の本は「論」というよりも,Twitterとは違う意味での「呟き」なのだろうけれど。

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